2008年12月10日

村上春樹:「1973年のピンボール」 このエントリーをはてなブックマークに追加

1973年のピンボール (講談社文庫)
村上 春樹
講談社
売り上げランキング: 119347
おすすめ度の平均: 4.5
5 村上作品の中では、珍しくビジュアル
2 隠し味としてすらもなかなか検出できない裏マチズモ
5 天才的な処女作に続く第二作目
5 風の歌を聴け
4 いい作品

りょーち的おすすめ度:お薦め度

このブログは書評ブログのよーなそうでもないようなあやふやなブログなのだが、立て続けに読んだものの感想っぽいことを書いてみる。
つーか、また村上春樹である。3連続で同じ作家について書評を書いたことはないかもな(書評っていうか、まあメモだけどね)。

鼠三部作(「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」)の2作目である「1973年のピンボール」を読んでみた。題名にもあるとおりこの物語は1973年の物語だ。

文庫本の背表紙にはこんなことが書いてある。
さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との“僕”の日々。女の温もりに沈む“鼠”の渇き。やがて来る一つの季節の終り―デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた第二弾
僕は東京で翻訳の仕事をはじめる。鼠は神戸のジェイズ・バーに別れを告げる。

極論すると「何かを失う過程が仔細に書かれた物語」って感じだな。
もちろん失ったものは物質的なものではなく、時間や感情や人間関係などの大凡通常の物差しで計ることができないモノだね。

何故だか双子の女の子と同棲することになった僕。鼠と遊んだピンボール「スペース・シップ」にとても会いたくなり、探しはじめる。東京のどこを探してもそのスペース・シップはない。ピンボールマニアの大学教授の伝手を辿り、やっとのことでスペースシップと再開する。元々養鶏場だったその場所にはスペースシップを含み合計78台ものピンボールが保存されていた。この発見のシーン、そしてピンボール台用の電気を入れるシーンがとても印象的だな。あまりに印象的過ぎるので引用する。
スイッチはその扉の脇にあった。レバー式の大きなスイッチだった。僕がそのスイッチを入れると、地の底から湧き上がるような低い唸りが一斉にあたりを被った。背筋が冷たくなるような音だ。そして次に、何万という鳥の群れが翼を広げるようなパタパタパタという音が続いた。僕は振り返って冷凍倉庫を眺めた。それは七十八台のピンボール・マシーンが電気を吸い込み、そしてそのスコア・ボードに何千個というゼロをたたき出す音だった。音が収まると、あとには蜂の群れのようなブーンという鈍い電気音だけが残った。そして倉庫は七十八台のピンボール・マシーンの束の間の生に満ちた。一台一台がフィールドに様々な原色の光を点滅させ、ボードに精いっぱいのそれぞれの夢を描き出していた。
すごいわ。ほんとに。一瞬これは映像で見たいと思ったりしたんだけど、この表現より美しい映像は作れないんじゃないかなとさえ感じる。
僕と双子が「配電盤」のお葬式をしたり、鼠の葛藤などもきっと読みどころなのかもしれないが、りょーちの中ではこのシーンが読めればもう十分だったりする。それほど印象的なシーンだな。
僕が失ったもの、鼠が失ったものは何かを考えながら読むのも面白い読み方だと思う。

そして前回の「風の歌を聴け」の感想でも書いたが、やはりこの作品にも郷愁、懐古というキーワードが浮かび上がる。しかし、大概の小説に言えることかもしれないが、人の過去の記憶を借りて自分も懐かしくなるってのはなんなんだろうね? 自分の中ではこの本の登場人物のような不思議な経験やカッコイイ台詞を言ったり、お洒落なバーで飲んだり女の子といい感じになったりとか全くしていないんだけど、懐かしさがこみ上げてくるね。心の奥底の鍵付きの扉が自然に開かれる心地よい気分にさせてくれるねぇ。

「羊をめぐる冒険」は未読だが「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」のどちらが好きかと聞かれれば「1973年のピンボール」の方だろうな。

さて、鼠と僕の物語は「羊をめぐる冒険」に続くらしい。今度時間を見つけて読んでみたいな。
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2008年12月09日

村上春樹:「風の歌を聴け」 このエントリーをはてなブックマークに追加

風の歌を聴け (講談社文庫)
村上 春樹
講談社
売り上げランキング: 203973
おすすめ度の平均: 4.5
3 村上春樹の技術について
3 巧みに作り込まれた作品
5 重くも軽くも
5 ただの青春小説じゃなくて
4 灰色じみた蒼

りょーち的おすすめ度:お薦め度

村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」を読んでみた(先日ノルウェイの森を読んだ勢いで図書館で借りてきたのだった)。

実はりょーちは村上春樹という作家のことをあまりよくしらない。村上春樹にとても傾倒している友人がいるが、実は彼は村上春樹のどのあたりが好きなのかを面と向かって聞いたこともない。
りょーちが読んだ数少ない村上春樹の小説に共通して言えることは、読み終えると、とても昔懐かしい気持ちが沸き起こってくるってことかな? 大人になった私たちは昔を思い出すとき、いろいろな人・モノ・場所を思い出す。そういうときに思い出される人・モノ・場所はとても大事なものとして心の奥底にしまわれていたりする。人それぞれによって「思い出のしまい方」も違うので、何をトリガーに過去の良き日を思い出すのかは個々人で差異が出るのだが、村上春樹の小説は人々の懐古の情を沸き起こす共通のメッセージがこめられているよーに感じる。

「風の歌を聴け」は、後に鼠三部作(「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」)と呼ばれる作品群の一部として評されることが多いらしい。村上春樹が「風の歌を聴け」を執筆したときに後の二作にまで思い及んではいないとは思う。

本書で登場する人物は意外と少ない。主人公僕とその彼女。鼠と鼠の彼女。バーテンのジェイ。あとは入れるとすればDJくらいか?
めちゃくちゃ要約すると「1970年代の若者たちがジェイのバーで人生について語る」って感じかな。登場人物のお洒落な会話の雰囲気が楽しめればいいという穿った見方もできそうだな。

「僕」はおそらく村上春樹本人がモデルなのだと思うが、村上春樹って若い頃そんなにモテたのか?と思わずにはいられないほどのプレイボーイっぷりだな。そんな僕が左手の指が4本しかない女の子とイイ仲になるのだが、「なぜ『左手の指が4本しかない女の子』でなければいけなかったのだろうか?」と、ふと思った。

まあ、そういうことも含めて、気障な台詞に逆らわずに身を委ねることで得る心地よさを体感すればいいのではと思う一作だった。

なお、この作品は映画化されているらしい(via 風の歌を聴け - Wikipedia)。しらんかった。
キャスト
僕 - 小林薫
女 - 真行寺君枝
鼠 - 巻上公一
ジェイ - 坂田明
鼠の女 - 蕭淑美
三番目の女の子 - 室井滋
旅行センター係員 - 広瀬昌助
当り屋・学生風の男 - 狩場勉
当り屋・柄の悪い男A - 古尾谷雅人
当り屋・柄の悪い男B - 西塚肇
精神科の先生 - 黒木和雄
ディスクジョッキー - 阿藤海
映画:風の歌を聴け 村上春樹
うーむ。ジェイが坂田明って、ちょいとイメージ違ったな。
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2008年12月06日

村上春樹:「ノルウェイの森」 このエントリーをはてなブックマークに追加

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社
売り上げランキング: 1009

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社
売り上げランキング: 902

りょーち的おすすめ度:お薦め度

今さらだが村上春樹のノルウェイの森を再読してみた。
ノルウェイの森といえば、超有名なのでストーリーはここでは書かない。
さらに感想文として理路整然とまとめるような文章としてもここには書かず、あくまでもノルウェイの森読書メモといった感じで場当たり的に記載してみる。

この年(?)になって再読すると、まあタイムカプセルを開けたような懐かしさがこみあげてきた。
僕(ワタナベトオル)と高校時代の同級生直子の物語は1970年ころという時代設定。今からもう40年以上前の話しということになる。なので、今の若い読者が「ノルウェイの森」を読むと違和感のある個所も多々あるだろう。
おそらくもっとも理解に苦しむ個所は「なぜ、登場人物のほとんどはひとつひとつの行動に理由づけをしたがるんだろう?」かも。勿論人間は自己の意志により行動するわけだが、物語の登場人物は「意志」というよりも「使命」に近い思惟により行動しているように思える。あるものは「学内デモで機動隊と戦ったり」「ひたすら学業に打ち込んだり」「読書したり」と。まあ学生運動以外は今の時代にも当てはまりそうなのだが、どうも人間の質というものが現代社会とはかなり異なっている。特にこの「ノルウェイの森」の登場人物にはそれが顕著である。

また、この小説ではいろんな人が命を落としている。ここから村上春樹の死生観について何か考察できるのかもしれんが「ひとつの小説で登場人物がこんなに自殺するってどういうこと?」
少なくとも、直子、直子の恋人だったキスギ、永沢さんの彼女のハツミさんの三人は自殺している。自分の周囲の人物が3人も自殺するって・・・
彼らの死はそれぞれ何らかの意味を持っているのだろうが、やっぱ死んでしまってはねぇ。自己の行動規範に沿って行動したアウトプットが自殺となるわけだが全くもって安易である。この点がどうも物語で納得いかない。

小林緑については(おそらく)直子との対極に位置する存在として登場させたのだと思うが、男性読者の多くは直子ではなく小林緑の方に共感する部分が多いことだろう。なぜワタナベは直子にいつまでもこだわり続けて小林緑をすんなり選ばなかったのか? まあ、直子の死後、放浪の旅を終えたワタナベは最後には緑に電話をかけるんだけどね。
りょーちもどちらか選べと言われれば小林緑を選ぶだろう。まあ簡単に言えば「直子=死」「緑=生」ということか。緑の行動が生に向かっているのに対し、直子の行動のすべてが死へ向かっている。そして直子は自殺した。それでも直子の方がよいという読者の感覚がよくわからん。そーいえば「1973年のピンボール」で自殺した女の子も直子だったはず。村上春樹の中でこの「直子」という名前は何か特別な思い入れがあるのかもしれないな。

また、直子が自殺後、阿美寮で同室だったレイコさんがワタナベの元を訪れるシーンがあるのだが、なぜそこでセックスしちゃうのか? まあ、社会復帰のための禊の意味合いがあるのかもしれんが、この行動も最後までよくわからんかったな。

ワタナベの行動で「そう来るか」と思った行動は多々あるが、直子に会うために初めて京都の阿美寮に行った際読んでいた本がトーマス・マンの「魔の山」って「ちょ、待て」。魔の山ってほとんど全編、阿美寮の生活が綴られたようなストーリーじゃん。それ、持って行くか?(ま、いいけど)

全編を通じて虚無感が流れ続け、何かほとんどの人が救われない話のようにも思えてきたな。こんな時は突撃隊のエピソードのひとつでも聞きたくなるな。
また、別の見方をすれば、全編官能小説としても読めなくはない。レイコさんがピアノ教師時代の教え子に陥れられる件とかね。つーかこの教え子、凄いわ。夢野久作の少女地獄に登場する姫草ユリ子と対決させたいな。
まあ、読む人によっていろんな解釈ができそうだねぇ。小説って本来そういうものかもしれんが。

と、まあ不平不満ばかり言っているようにみえるかも知れんが、小説全体としてはやはりよくできているんだな。さらに10年後読んでみるときっとまた違った印象を受けるんだろう。

なお、最近知ったのだが、この「ノルウェイの森」が映画化されるらしい。
アスミック・エース エンタテインメント:村上春樹原作「ノルウェイの森」 映画化決定!!
撮影開始が2009年2月ということなので配役もそろそろ決まるのだろう。
どういう映画になるのか楽しみだな。

参考:映画「ノルウェイの森」キャスト決定 | 2010年秋公開 | りょーちの駄文と書評
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2008年12月04日

高橋克彦:「総門谷」 このエントリーをはてなブックマークに追加

総門谷 (講談社文庫)
総門谷 (講談社文庫)
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高橋 克彦
講談社
売り上げランキング: 170541
おすすめ度の平均: 4.0
2 前半の展開はいいですね
3 やや興醒め・・・
5 SF伝奇小説の傑作!
4 本の始めは魅力的だが…がっくり、、、
5 スケールがでかい!

りょーち的おすすめ度:お薦め度

かなり前から気になっていた高橋克彦の「総門谷」を図書館で借りて読んだ。
先日読んだ半村良の「超常領域」も昔のSFだが、この総門谷も昔のSFなんだな。Wikipediaの高橋克彦の記事によれば1985年に出版され、1986年にこの「総門谷」で第7回吉川英治文学新人賞を受賞しているらしい。

ジャンルとしてはSFになる。ストーリーが壮大で結構面白い。
「SFと呼ばれるもののすべてのエッセンスを詰め込みました」というジャンルで壮大なストーリだな。

東北で発見された焼死体と最近頻繁にみかけるUFOの謎を追う出版社E2のメンバーとTVディレクターの篠塚、そして不思議な力を持つ霧神顕が、謎の存在「総門」と総門の手下たちと繰り広げる激しいバトルが見ものだ。
舞台は東北になっているのだが、どうやら本書は河北新報という宮城県の新聞に連載されていた小説のようである。つーか、この内容を一般新聞に連載するって、河北新報、やるな。

まあ、ホラ話もここまで広げるとすごいわ。何しろ「総門」の手下がすごい。過去に偉業を成したメンバーが勢ぞろい。
キリスト、ジャンヌ・ダルク、プラトン、クレオパトラ、役小角、ダ・ヴィンチ・・・
彼らが総門にいいように使われているのだ。どうなの、これ?
彼らは死後、総門により永遠の命を与えられ、その代わりに総門への忠誠を誓っているのだな。こういった歴史上の人物がひどく人間くさく書かれている(まあ、人間なのだが・・・)。
キリストやプラトンが喧嘩や諍いを繰り広げるって「ちょ、待て」といわずにはいられない。つーか、キリスト教信者が読んだら、これ怒るぞ、きっと。ま、そこが面白いんだけどな。

物語のポイントは「霧神顕の出生の秘密」「顕の能力の開花」「顕の両親の存在」「総門とは何者?」。まさに、謎また謎の連続。
本書を書くのには相当なSFやカルト的な知識が必要だと思うが、UFOやピラミッド、ミステリーサークルなども面白い解釈がされておりそこだけ読んでみても楽しめるな。

惜しまれるのが主人公の霧神顕が主人公っぽくないんだな。これが。なーんかあまり魅力がないんだな。すごい能力に開花して、総門と戦っちゃったりするんだが、感情移入するほどキャラが立ってない。ストーリー、着眼点などに面白い要素が多々あるだけに惜しいねぇ。

栗本薫の「魔界水滸伝」の伊吹涼も主人公として情けない印象を受けたが、それ以下だな。なんでだろうな。(つーか、魔界水滸伝の結末はどうなったんだっけ?)

なお「総門谷R」ってのもあるらしい。
総門谷R〈阿黒篇〉 , 総門谷R〈鵺(ぬえ)篇〉 , 総門谷R〈小町変妖篇〉 , 総門谷R〈白骨篇〉
うーむ、いつの日か読んでみよう(ちょっと後ろ向きだが)。

どうでもいいのだが、高橋克彦 - Wikipediaを参照すると、こんなことが書かれていた。
高校生時代にヨーロッパに長期旅行して、ビートルズに会った最初の日本人となった
そーなんだ・・・
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2008年11月12日

宮部みゆき:「火車」 このエントリーをはてなブックマークに追加

火車 (新潮文庫)
火車 (新潮文庫)
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宮部 みゆき
新潮社
売り上げランキング: 1937
おすすめ度の平均: 4.5
5 これを読まずして何を読む!
4 ・・・。
4 終盤になってヒロインと決別…。
1 どこが良いのか…
4 良くできたサスペンス

りょーち的おすすめ度:お薦め度

何回目だかもう忘れたが最近読んでなかったので再読してみた。すごい久々に読んだが、やはり素晴らしいな。
世の中の多くの人々が宮部みゆきという作家を知るきっかけになったと思われるこの火車。
ストーリーが複雑とは思わないが、人間関係が複雑だな。もっと言えば、人間関係が複雑になるよーなストーリーなんだな。

怪我により休職中の刑事本間俊介の元に親戚の栗坂和也という青年から自分の婚約者の関根彰子が失踪したため探して欲しいと依頼される。関根彰子の勤務先などから足取りを掴もうと調査を始める。探せば探すほど、関根彰子という女性の過去に不思議な点が見つかってくる。
調査途中に知り合った弁護士の溝口やその他の関係者の話から「関根彰子が自己破産していること」「母が謎の死を遂げている」「関根彰子の戸籍に不審な点がある」ということがわかってくる。
で、どうやら関根彰子は誰か別の人間が関根彰子を名乗っていることがわかり始めてくる。

関根彰子を語る人物は誰なのか?
どうやって別人になったのか?
本物の関根彰子はどこにいるのか?

本間と関根彰子の幼馴染の本多保が地道な聞き込みや閃きにより真実に近づいていくプロセスはやはり宮部みゆきならではの「巧みの技」ともいえるうまさがある。無駄がないよな。ホントに。

1992年に出版されたこの火車。本書ではカードローンによる自己破産という社会問題を中心にストーリーが進められる。弁護士の溝口が「カードローンによる自己破産は特別な人が起こすわけではなく誰もに起こりうること」といったことを述べている。現在を見てみるとキャッシングのCMが日常的にテレビで放映され、カードローンの暗部がぼかされて喧伝されている気がするね。15年以上前の作品のこの火車で宮部みゆきが綴った警鐘を今一度思い出して欲しいものである。

個人的には本多保とその妻郁美が好印象。郁美の夫を立てるところは立てつつもきちんと自分の主張するところは主張するという性格はちょっといいね。
ラストも読者の想像に任せたあの終わり方でよかったような気がする。まだミステリーを読み始めの頃に読んだこの一冊だが「こういうラストもありなんだねぇ」と感じたな。このラストでの新城喬子はどういう気持ちだったんだろなぁ・・・ 逃げ続ける人生に疲れないのか?

なお、この火車は1994年2月5日にテレビ朝日系土曜ワイド劇場枠で『火車 カード破産の女!』というタイトルでドラマ化されたのだった。
このドラマを見たことがあるのだが、2時間ドラマにしてはよくがんばったのではという気がする。火車 (小説) - Wikipediaによると、キャストはこんな感じだったらしい。
本間俊介:三田村邦彦
新城喬子:財前直見
関根彰子:森口瑤子
本多保:沢向要士
栗坂和也:山下規介

うーむ、配役に時代を感じるね。
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2008年11月10日

半村良:「超常領域」 このエントリーをはてなブックマークに追加

超常領域
超常領域
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半村 良
祥伝社
売り上げランキング: 1169228

りょーち的おすすめ度:お薦め度

半村良の超常領域を初めて読んだのはかなり前だった。
なので殆どはじめの方の流れを覚えていなかったのだが、読み始めて「あー、そういうことだっけ?」と思う部分がかなりあり、ほぼはじめて読んだに近い状態で新鮮な気持ちで読むことができた。

ストーリーを簡単に説明すると、井須賀市にやってきた主人公の「俺」は選挙違反の罪を被り逃走中だった。野渕三郎という偽名を使いながら、逃走を続け井須賀市という聞きなれない市に逃げ込んだ。
井須賀市はそれなりに洗練された都市で、野渕は暫しの潜伏先をこの井須賀市に決めた。バーであった吉乃という女と恋仲になり、しばらく滞在していたのだが何か様子が変だった。
そしてある日、町に住むおかしな物理学者から、この町は通常の時空とは分離され、隔絶された都市になったと告げられる。
町から出ようとしてもメビウスの輪のように外に出ることができない。
また、外の世界から井須賀市にやってくるとこもできない。このままだと食料や燃料などが尽きてしまう。
野渕と吉乃は食料を買い込んでいたが、他の市民は状況が飲み込めていなかった。井須賀市は他の世界から隔絶されただけでなく、人の記憶からも井須賀市以外の記憶を削除しはじめていた。人々は「井須賀市の外」という概念そのものが欠落したまま生活をしているのだ。
唯一この記憶を奪われなかった野渕と「超常領域」と化した井須賀市との戦いはどうなるのか?

うーむ、そうそう、最後のあたりは覚えてるな。
この物語って設定はSFなんだけど、後半は実は閉鎖空間における人間の狂気について語られている。はじめてこれを読んだときの恐怖が蘇ってきたよ。やっぱ、一番怖い動物は人間だな。しかし、亜空間との戦いってどうやって戦えばいいのか?現実にはありえないことを物語として構成するのはとても大きなフロシキを広げないといけなさそーだが、外界と隔絶された点以外は殆ど日常と変わらない視点で書かれているところが恐ろしさを倍増させているな。「超常領域内の日常」とでも言えばよいのだろうか?
ラストは「あ、あれ?」と思う箇所もあったが、読んでいて思ったのはまだ、携帯電話とかが今ほど日常的に普及していなかったり、インターネットの概念がなかったりと時代を感じさせる部分が多々あったな。中町信の「模倣の殺意」もあの時代だからこそ受け入れられた一冊なんだよねぇ。

そーいえば、半村良のペンネームの由来がイーデス・ハンソン(良いです、半村)に起因するってのを聞いたが、半村良 - Wikipediaによるとどうも違うらしい。

戦国自衛隊が有名だが、超常領域も今読んでもまあまあ読めたな。古いSFも今読んでみると結構よいかもしれないね。このあたりの本を買って濫読しようかなぁ・・・

現代SF1500冊 乱闘編 1975―1995
大森 望
太田出版
売り上げランキング: 287582
おすすめ度の平均: 3.5
1 詰め込みすぎ
5 書評としてではなくエッセイとして
4 場外乱闘もあります

妖星伝 (1) (講談社文庫)
半村 良
講談社
売り上げランキング: 480207
おすすめ度の平均: 5.0
5 最高峰
5 半村小説の最高峰!
5 さようなら、半村良先生
5 こんな空想力が日本にもあった!
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2008年10月28日

東野圭吾:「容疑者Xの献身」 このエントリーをはてなブックマークに追加

容疑者Xの献身 (文春文庫 ひ 13-7)
東野 圭吾
文藝春秋
売り上げランキング: 13

りょーち的おすすめ度:お薦め度

遅ればせながら東野圭吾の「容疑者Xの献身」を読んだ。(遅い?)
東野圭吾の本は何冊か読んでいるのだが、そんなに熱心なファンでもなく直木賞を受賞したときも話題だなーとは思いつつ手を出さなかった。ガリレオシリーズはまだ「探偵ガリレオ」しか読んでないのだが、文庫本が発売されたことと映画化されたことを機会に読んでみようと思ったのだ。

一言で言えば、すごいね。この本。あらすじについては映画化されたこともあるので 容疑者Xの献身(映画サイト) をご覧になればよいかと思う。
読者から見れば、本書は「フーダニット(犯人当て)」の要素は低い。なぜなら小説の冒頭で殺人の経緯が詳細に書かれている。読者が冒頭で犯人を知るミステリー小説は多々あるが、その際の読ませ方としてはこんなパターンがある。
(1)「探偵が論理的思考により犯人を追い詰める過程を楽しむ」
(2)「実は読者が(登場人物が)想定していない別の真犯人が存在した」
(3)「実はその犯罪はより大きな犯罪の一部でしかなかった」
(4)「実は犯罪そのものが存在しなかった」
などが挙げられる。本書は上記でいえば(1)が該当するように思える。
読者もそう思いながら読み始める。ここでもう読者はだまされている。
多分この視点がこの作品の素晴らしさだと思う。これ以上書くとネタバレになりそうなので、是非手にとって読んでみてほしいっす。

本書には天才が二人登場する。帝都大学准教授の湯川学、そして高校教師の石神哲哉の二人だ。本書はこの二人の頭脳戦が読みどころだね。湯川がまだ帝都大学の学生時代、同級生に石神という天才がいた。互いの能力を認めあうまでとなった湯川と石神は時を経て湯川は物理学者、石神は数学者へとその道を分かれた。
そしてある殺人事件を機会に二人の天才が再開する。
石神の用意周到に計算されつくしたアリバイをどう崩していくか。これが先ず(1)の読み方だね。
まあ、読んでみれば分かるが、おそらくこの事件は湯川でないと解くことができない難問であることは間違いない。正確に言えば「石神を知る湯川でないと解けない事件」だった。
互いに認め合う二人を象徴するような台詞がある。

「誰にも解けない問題を作るのと、誰にも解けない問題に答えるのと、どちらが難しいか」

今回の出題者は石神であり、回答者は湯川なのだが、湯川は「誰にも解けない問題を作る」ほうが難しいと考えていた。この一言でも、石神を思う湯川の気持ちが伝わってくるね。

しかし、本書のラストはちょいと目頭が熱くなったね。
泣く一歩手前だったよ。花岡靖子に対する石神の思いってちょいと怖いね。
石神の思いが純粋だったためにストーカーっぽい雰囲気はあまりかもし出されなかったが、状況だけ見れば花岡靖子に対する石神行動はストーカーに近いものがあるな。現実にあるとちょっと怖いよなぁ・・・

本書を読み終えて「これを映画化するのは、かなり難しい」と思った。この通りに演技しろったって、できないよ。

映画のキャストは石神が堤堤真一で、花岡靖子が松雪泰子のようだ。

堤真一は確かドラマ「やまとなでしこ」で数学者の役をやっていた。それで、この役に抜擢されたのかどうかは知らないが、ちょいと映画も見てみたい気がする。ラスト、どうなんだろうね・・・ これ映画だと泣く人結構いるんじゃないか?
福山雅治と堤真一はどちらも寡黙なイメージがあるんだけど、どうやらどちらも楽しい人っぽい。
松雪泰子の靖子役は結構イイのかもしれんないね。(フラガールのノリではないと思うので)
うーむ、映画も見に行こうかなぁ・・・(って言ってもきっと1年後くらいにフジテレビで放送するんだろうから見なくてもいいかな?)
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2008年10月03日

井上ひさし:「ブンとフン」 このエントリーをはてなブックマークに追加

ブンとフン (新潮文庫)
井上 ひさし
新潮社
売り上げランキング: 208143
おすすめ度の平均: 4.5
5 バカとナンセンスの一大金字塔
5 井上ひさしが初めて出版した小説。また、僕にとって中学生のとき初めて読んだ文庫本。
4 本を読むことは楽しい
4 私はこれで本を読みました
5 ブンとフンを読んでみて

りょーち的おすすめ度:お薦め度お薦め度

今でこそいろんな本を読んでいるのだが、高校生の頃は何故か赤川次郎さんの本を好んで読んでいたっす。
で、同級生もそれなりに本を読んでいる人もいて、その中の一人が持っていた本がこの井上ひさしの「ブンとフン」だった。当時は「何、その題名?(笑)」的に思っており、気にもとめずにここまで生きてきましたが、先日図書館でこの本をみかけ「あー、そーいや高校生の頃読んでた娘がいたなー」と思い借りてみた。

これがなんとかなりオモシロイ!
高校時代にこの本を知っていたらその後のりょーちの読書観も変わっただろうなーと思わせる一冊だ。「井上ひさしと井上靖、どっちがどっちだっけ?」と今までよくわかんなくなってたりょーちだが、これでもう大丈夫(謎)。

物語は貧乏作家のフン先生が書いた小説の主人公ブンが小説の中から抜け出して大騒動を繰り広げるという話し。
ブンは四次元の大泥棒であり、誰にも捕まえることはできず、しかも何でも盗むことができるのだ。しかも変装の名人でもあり、いろんなものに化けることもできる。
小説から飛び出したブンは世界中でいろんな事件を起こす。(といっても悲惨な事件はひとつもないのだが)
たとえば、ベルリンのシマウマのシマを上野動物園のシマウマに移して上野動物園のシマウマを格子模様にしたり、自由の女神の炬火(たいまつ)をソフトクリームにしたりアンパンのヘソをカエルに移植したりと世界中でさまざまな事件を起こしまくる。
これらの不思議な現象はブン現象と名づけられることに。

さらに小説が増刷になり、ブンも増えに増え続け事態は更に混迷する。
警察は四次元のブンに対抗することもできず、ついには悪魔と契約しブンを捕まえようとするが・・・

サックリと読めるライトSF的な話しでかなりお勧め。このブンとフンが出版されたのは1974年とずいぶん前の話なんだな。しかも井上ひさしさんの処女作のよーである。
杉井ギサブローさんの描かれたカバー・挿絵もかなりかわいくてポイントが高いっす。

おそらくこのブンとフンは後世のいろんな作家にかなり影響を与えた一冊になっているのではないかと(勝手に)推測する。
今思えば清涼院流水の「カーニバル」あたりに出てくる犯罪オリンピック(だっけ?)などはブン現象そのものではなかろうか?

独特の軽い文体だが、ブンが人々の虚栄心までも盗み出す件などはいつの時代にも共通して発せられるべきメッセージだと思うっす。
ブンには今の世の中に登場してもっともっといろんなものを盗み出してほしいっす。
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2008年09月01日

貫井徳郎:「愚行録」 このエントリーをはてなブックマークに追加

愚行録
愚行録
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貫井 徳郎
東京創元社
売り上げランキング: 108024

りょーち的おすすめ度:お薦め度

ってことで、貫井徳郎の愚行録を読んでみた。
またもや図書館で借りてきたっす。

今ひとつ感心しなかった。
うーむ。「これってあれだよね。慟哭でしょ?」と思わずにいられない一冊だった。

どこがどう慟哭っぽいかといえば、もうネタバレ覚悟なんだが、本書は一家惨殺事件を調査するルポライターの章と、誰かわからない兄妹の会話の章の2章が平行して進んでいく。で、まあ、この2つの章の人間関係は本書の最後の方でわかるっていう、例のアレなんだな。登場人物名はこの小説の性質上あまり書かないほうがよいような気がするのでここでは個々の人物に関して言及はしないっす。
それにしても読後感があまりよろしくない。そういうオチで書いたんだからしょうがないのだが、最後のページを読んで、はじめのページに書かれているネグレクトの記事にやっとつながるんだな。
また、インタビュー中に回顧される被害者の関係者から聞く被害者の学生時代の話がどうも不思議だ。慶應義塾大学内の内部生(幼稚舎から上がってきた人)とか外部生って、やっぱそーいうの存在してるんですかねぇ・・・
こういう横の繋がりって連帯感なんだろうけど、度を越すと閉鎖的社会を構築しちゃうんだろうねぇ。会社でも学閥とかあるんだろうけどねぇ。
そういう人にわかりやすいラベルを貼ることで生活しやすい人もいるだろう。
ちなみに、作者の貫井徳郎さんは早稲田大学卒業っぽい。だから慶應義塾大学へこういったイメージがあるのではと邪推するよーな記述が多々見受けられた。

まあ、バブル期の学生生活ってのはこんな感じだったんだねぇという、懐古趣味的な視点から読めば読めなくもないなと思った。

詳しく書くと完全にネタバレしちゃうので書かないことにしちゃうが、まあそれにしても、犯人の殺害への動機はどうなの?こういうのが動機として成立するんだったら、世界の人口が今の半分くらいになっちゃうんじゃないのと思ったよ。

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2008年08月21日

奥泉光:「プラトン学園」 このエントリーをはてなブックマークに追加

プラトン学園 (講談社文庫 お 102-1)
奥泉 光
講談社
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りょーち的おすすめ度:お薦め度

久々に図書館で借りてきた本。

以前作者の奥泉光さんの「グランド・ミステリー」を読んだことがあった。「グランド・ミステリー」も不思議なストーリーだったが、本書「プラトン学園」もちょいと不思議な物語になっている。
本書は主人公の木苺惇一が北の離島、象島にあるプラトン学園という学校で英語教師として赴任したが、その学園および象島で起こったなんとも不可思議な体験談が書かれている。
全編通じてなんとも捕らえどころのない作品に仕上がっているのは、やはりその世界観にあると思われる。
プラトン学園というソフトにより仮想電脳空間をさまよう木苺が現実と虚構の区別がつかなくなるってのがこの話のキモの部分であろう。まあ、早い話があの「マトリックス」のよーな且つ「マトリョーシカ」のよーなストーリーなわけであった。鈴木光司の「ループ」に近いかもね。
が、それにしても途中まで、この仕組みがよくわかってなかった。
キイチゴや校長、千石霧子、学校の生徒たちが現実にはありえない行動を起こすためちょっと混乱したっす。物語の全体像がほぼつかめたのはかなり最後のほうである。といっても、実は今でもこの世界観がすべて理解できたかと問われれば、かなり怪しい。結局世界観を書きたかったのか、その中の人物を書きたかったのか、判然としないつくりになってしまっているよーな気がする。あと、一応ヒロインとなるのか不明だが、千石霧子と千石聡子の存在は本書ではどういう位置づけだったのだろう? 今もってよくわかんないっす。

なお、この本が出版されたのは1997年のようである。
今なら仮想空間といえば、セカンドライフ的なものを容易に想像できるが、当時はまだ、VRMLが出始めたころなんだねぇ。なかなか一般の人々にはコンピュータの中で自由に空間を動き回ってといってもピンと来なかった時代だったのではなかろうか。
そのあたりの違和感が読後にあまりピンと来るものがなかった要因かもしれないっす。

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