1973年のピンボール (講談社文庫)
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村上 春樹
講談社
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おすすめ度の平均: 






りょーち的おすすめ度:

このブログは書評ブログのよーなそうでもないようなあやふやなブログなのだが、立て続けに読んだものの感想っぽいことを書いてみる。
つーか、また村上春樹である。3連続で同じ作家について書評を書いたことはないかもな(書評っていうか、まあメモだけどね)。
鼠三部作(「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」)の2作目である「1973年のピンボール」を読んでみた。題名にもあるとおりこの物語は1973年の物語だ。
文庫本の背表紙にはこんなことが書いてある。
さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との“僕”の日々。女の温もりに沈む“鼠”の渇き。やがて来る一つの季節の終り―デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた第二弾僕は東京で翻訳の仕事をはじめる。鼠は神戸のジェイズ・バーに別れを告げる。
極論すると「何かを失う過程が仔細に書かれた物語」って感じだな。
もちろん失ったものは物質的なものではなく、時間や感情や人間関係などの大凡通常の物差しで計ることができないモノだね。
何故だか双子の女の子と同棲することになった僕。鼠と遊んだピンボール「スペース・シップ」にとても会いたくなり、探しはじめる。東京のどこを探してもそのスペース・シップはない。ピンボールマニアの大学教授の伝手を辿り、やっとのことでスペースシップと再開する。元々養鶏場だったその場所にはスペースシップを含み合計78台ものピンボールが保存されていた。この発見のシーン、そしてピンボール台用の電気を入れるシーンがとても印象的だな。あまりに印象的過ぎるので引用する。
スイッチはその扉の脇にあった。レバー式の大きなスイッチだった。僕がそのスイッチを入れると、地の底から湧き上がるような低い唸りが一斉にあたりを被った。背筋が冷たくなるような音だ。そして次に、何万という鳥の群れが翼を広げるようなパタパタパタという音が続いた。僕は振り返って冷凍倉庫を眺めた。それは七十八台のピンボール・マシーンが電気を吸い込み、そしてそのスコア・ボードに何千個というゼロをたたき出す音だった。音が収まると、あとには蜂の群れのようなブーンという鈍い電気音だけが残った。そして倉庫は七十八台のピンボール・マシーンの束の間の生に満ちた。一台一台がフィールドに様々な原色の光を点滅させ、ボードに精いっぱいのそれぞれの夢を描き出していた。すごいわ。ほんとに。一瞬これは映像で見たいと思ったりしたんだけど、この表現より美しい映像は作れないんじゃないかなとさえ感じる。
僕と双子が「配電盤」のお葬式をしたり、鼠の葛藤などもきっと読みどころなのかもしれないが、りょーちの中ではこのシーンが読めればもう十分だったりする。それほど印象的なシーンだな。
僕が失ったもの、鼠が失ったものは何かを考えながら読むのも面白い読み方だと思う。
そして前回の「風の歌を聴け」の感想でも書いたが、やはりこの作品にも郷愁、懐古というキーワードが浮かび上がる。しかし、大概の小説に言えることかもしれないが、人の過去の記憶を借りて自分も懐かしくなるってのはなんなんだろうね? 自分の中ではこの本の登場人物のような不思議な経験やカッコイイ台詞を言ったり、お洒落なバーで飲んだり女の子といい感じになったりとか全くしていないんだけど、懐かしさがこみ上げてくるね。心の奥底の鍵付きの扉が自然に開かれる心地よい気分にさせてくれるねぇ。
「羊をめぐる冒険」は未読だが「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」のどちらが好きかと聞かれれば「1973年のピンボール」の方だろうな。
さて、鼠と僕の物語は「羊をめぐる冒険」に続くらしい。今度時間を見つけて読んでみたいな。