2004年12月07日

貫井徳郎:「崩れる」 このエントリーをはてなブックマークに追加

崩れる 結婚にまつわる八つの風景 (角川文庫)
貫井 徳郎
角川書店(角川グループパブリッシング) (2011-03-25)
売り上げランキング: 40197


りょーち的おすすめ度:

本書は貫井徳郎さんの短編集になります。
サブタイトルは「結婚にまつわる八つの風景」ということで、結婚をテーマにした短編集になっています。
「崩れる」「怯える」「憑かれる」「追われる」「壊れる」「誘われる」「腐れる」「見られる」の8編から構成されていてそれぞれ関連性はなく、純粋な短編として書かれています。
短編ってのは非常に難しいと思うんですよね。星新一さんや筒井康孝さんは短編を非常に上手に書ける作家さんなのかなーと思うのです。短編で何が難しいかといえば、少ない文字数で面白い世界を構成しなければいけないということですね。童話や昔話などはそのよい例で、きちんと起承転結をつけてしかも教訓まで存在する。
本書の「崩れる」でりょーちが得た教訓は「結婚生活はまじめに送ったほうがいいな」ということです(^^;
短編ということもあり、ストーリーに触れることは難しいのですが、りょーちが好きなのは「腐れる」でしょうか。匂いをテーマにした「腐れる」は最後にその「匂い」が何なのかを理解したときちょっと怖かったですね。
ミステリー小説で匂いを題材にした小説は幾つかあるのですが、井上夢人さんの「オルファクトグラム」もなかなかよかったです。
短い中にも貫井節(?)が現れていて読みやすかったです。
本書は所謂フーダニットものでもなく、トリックものでもないため、ミステリー小説をあまり読まれない方も読みやすいのかなと思います。
本書の中で様々な家族が描かれていますが、よくこれだけの登場人物に個性を持たせることができるなーと感心しました。
また、テーマの選び方も発行当時から見ると今の社会にも当てはまる題材が取り上げられている。ストーカーとか公園デビューとか当時はなかったと思うんだけど・・・ 社会の問題がよく見えているのかな?
ちなみに、本書を読んだ独身の方は「こんなんだったら結婚するのやめようかなー」と思っちゃうのかな?

長編が比較的多い貫井さんの短編もまた読んでみたいなあと思います。貫井さんよろしくお願いいたします。(って見てないか・・・)

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2004年11月27日

貫井徳郎:「転生」 このエントリーをはてなブックマークに追加

転生 (幻冬舎文庫)
転生 (幻冬舎文庫)
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貫井 徳郎
幻冬舎
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りょーち的おすすめ度:

このところ忙しくてBlogに手が回らなかったなー、と言いながらも、本だけは通勤時間に読むことができる。ってことで貫井徳郎の「転生」について。
転生ってのは生まれ変わるって言うことですよね。生まれ変わりを信じるかどうかは別として、世界中にいろいろな転生の話はある。本書の転生ってのはそういった宗教的な話ではない。どちらかと言えば医学ミステリーの部類に入るのかな?(いや、ラブストーリーかも)臓器移植については技術的な問題と倫理的な問題があると思う。本書の「転生」では、技術的な面を軸に倫理面を問いかける構成になっている。

心臓移植に成功した、主人公の和泉は移植後の経過も良好。身体的には何も問題なく過ごせるようになった。本来移植者にはドナーの情報は知らされないことになっているが、やはり和泉にはドナーの存在が気に掛かる。心臓移植をおこなったということはドナーは既に他界しているためにあうことが出来ないのであるが、どうしても誰なのかを知りたがる。更に術後に恵理子という見知らぬ女性が夢に出てくるようになった。
和泉は何時しか夢に出てくる恵理子に心を引かれる。更に手術前とは全く異なる知識や感性、考え方をするようになった。例えば聞いたこともない曲の作曲家と曲名がわかるようになったり、不思議なほど上手に絵が描けるようになった。
和泉は何時しか自分の心臓の以前の持ち主が絵や音楽に長けていたと考えるようになる。新聞記事などを頼りに、調べた結果、恵理子ではなく、橋本奈央子という女性の存在を知る。しかし、橋本奈央子の遺族に会い、奈央子の写真を見ると夢に登場する人物とは全く違っていた。
腑に落ちない和泉だったが、またもや夢に恵理子が登場した。その夢ではある小さな美術館を訪れていた。その美術館の話しを美大に通う友人の如月に話したところ、どうやら世田谷美術館であろうことが判明する。後日如月と一緒に世田谷美術館に出かけた和泉はその個展の芳名帳に恵理子の名前を見つける。果たして恵理子は生きていた。
ではこの心臓は誰のものなのか? 芳名帳の住所を頼りに恵理子の家をたずねたところ、正に夢に登場する恵理子がそこにいた。ではこの心臓は誰のものなのか?

移植した臓器の記憶を人は受け取るものなのかという謎と、恵理子にあってから更に深まる心臓の持ち主の謎、心臓の持ち主を探すうちに更に生じる新たな謎。これらが非常に上手く絡み合って物語の結末へと結びつく過程は非常に読み応えがある。

フリーライターの紙谷、日本屈指のベストセラー作家の母、どこか憎めない和泉の友人の如月。隣に住む耳の聞こえない小学生だが知能は既に大学生レベルでもある雅明くんなど脇を固める登場人物も非常に魅力的だ。特に如月などは非常に好感を持てる。

本書を読んで実際の臓器移植はどのように行われるのか、非常に興味を持った。
ドナーの選定は血液型以外にHLA抗原などの一致が必要らしいが、実際に手術を行うには莫大なお金が掛かる。現在の臓器移植の問題に触れる定言的な小説だったと思う。
ミステリーを前面に出さずにストーリーで読ませるような小説だけどキチンとミステリーになっている。やっぱり貫井さんはいいっす。

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2004年11月22日

小松左京:「エスパイ」 このエントリーをはてなブックマークに追加

エスパイ
小松 左京

角川春樹事務所
1998-03
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りょーち的おすすめ度:

エスパイとはエスパーとスパイを足し合わせた造語らしい。エスパーとは超能力者のことですな。スパイは・・・まあわかるか。
小松左京氏の小説で、映画化もされたのでそれなりに知っている人もいるはず。おそらくこの映画を見ている人は30代〜40代の男性で、ストーリーは知らなくても由美かおるが怪しく出ている映画といえば「あー、あれね」と思い出すことであろう。
主人公は確か藤岡弘だった気がする。(忘却の彼方でありますが・・・)

この本を図書館で見つけて、「あーこんなのあったねー」という投げやりな感覚で借りて読み始めました。

映画化されたのはぐぐってみると1974年って書いてあるので出版年度はもうちょっと前になると思います。(調べてみたら1964年らしい)
1964年ってことは今から40年前ですね。40年前のSFを引っ張り出してきて「時代遅れのSFだ」などというのは反則なので、そういった文句はなしにしますが、やっぱり感想としては、昔はこういうのでも「あり」だったんだなーって感じです。

冷戦終了後のアメリカとソ連の和平交渉が進み始める中、ソ連の首相の暗殺計画が進行しているとの情報をGetしたPBは、世界各地に散らばるエスパーを集めて暗殺を阻止するために奔走しはじめる。しかし暗殺計画を企てる一味もエスパーだった。正義対悪という非常にわかりやすい構図でエスパー達の戦いが繰り広げられる。
要約するとこんな話しである。主人公の田村良夫というエスパーが活躍するのだが、どうもSFの主人公の名前にしてはあまりに平凡すぎる気がする。(日本中の田村良夫さん、すみません・・・)
しかも、ストーリーとあまり関係なさそうなところで何気にお色気っぽい挿話があり、うーむなんだろうと首を傾げること然りである。でも、今のSF界やミステリー界で活躍されている作家の方々はこういった本を読んでいろいろ影響を受けているのだろうなーというのは感じられた。(ホントか?)
なお、超能力を持つ人々の戦いは非常に壮絶な戦いである気がするが、読んでみると意外と地味である。
りょーちの浅知恵では、超能力持っているのであれば、心臓に通じる血管をちょいと切る程度でダメージを与えられそうな予感なのに、わざわざ重い岩を動かしてみたりするのはどうなのかと思ったりした。(そんなことやると話しが直ぐに終わるからだめなのかな?)
数日間のうちに世界中を駆け巡る田村良夫は最終的には大気圏外(!)へとワープしてしまうという荒唐無稽さに後頭部をハート型土偶で殴られたような衝撃を受けるがそれもご愛嬌(^^; 最後には「愛」が勝つらしい・・・(by KAN)

あと、どうでもいいけど、Wikipedia藤岡弘を検索したら、正しくは「藤岡弘」と「、」が入るらしい。句読点をつけた芸名は「モーニング娘。」よりも先のようである。(7へえ)

教訓:「昔よかったものは今でもいいとは限らない」
#昔も今もいいものはあると思いますが・・・

小松左京さんオフィシャルページ



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2004年11月17日

貫井徳郎:「修羅の終わり」 このエントリーをはてなブックマークに追加

修羅の終わり (講談社文庫)
貫井 徳郎
講談社
売り上げランキング: 100245


りょーち的おすすめ度:

修羅の終わりを読了された方で慟哭を読まれた方はどのような感想をお持ちになったかいろいろ伺ってみたい。いろいろ検索してみたがどうも賛否両論っぽいですね。以降本書および慟哭のトリック(というのが正しいのかどうなのかわからないが)の部分に触れるので、未読の方はご注意願いたい。

なお、通常、叙述トリックを用いた小説の場合は、それが叙述トリックを用いた小説であるとわかった瞬間に小説の面白みが半減(いや、それ以上か?)するわけだが、本書においては全くその心配はなく、何度読んでも小説として素晴らしいと感じることを付記しておきます。

本書の感想をまとめておくために貫井氏の慟哭を思い出さずにはいられない。ミステリーの世界には叙述トリックというものがある。
叙述トリックについては香澄遼一氏が「HMC機関誌『MISTERIOSO』第七号」の中で、評論「叙述トリック講義」で詳しく述べている。日本のインターネットサイトの中でこれほど、キチンと叙述トリックについてまとめているページはないと思われるのでご興味ある方は一読願いたい。

叙述トリックを用いる際に作者として注意していると思われる点は「探偵しか知りえない情報」を作らないというのが鉄則と思われる。「修羅の終わり」に関しては、実は最後の1行を読むまでりょーちはわからなかった。
ということで、貫井氏の思惑は成功したように思う。ただ、本書はトリックを書きたいがために書かれたのではない(と思う)。
「修羅の終わり」を読んでいただくとわかるが、各章は3つの構成になっており、「I」「II」「III」と番号が振ってあるので、どのストーリーを読んでいるのかはわかる。「修羅の終わり」の後書きをヴァンパイヤー戦争やオイディプス症候群で有名な笠井潔氏が書かれているがりょーちはこの後書きを読んでやっと全貌を理解したといっても過言ではない。(また読解力のなさを露呈してしまった・・・)

反社会的組織を駆逐するために公安としてスパイ要請活動を行う久我の話しが「I」。
警察内で無茶な行動を起こし、失職の危機に陥る刑事の鷲尾の話しが「II」。
新宿の繁華街を歩いている途中にチンピラに因縁をつけられて殴られた「僕」は地面に頭を打ち付けられた衝撃で記憶をなくす。「僕」の自分探しが始まる。これが「III」の部分の骨子となる。
本書でスクランブルの効果として際立つのが「III」のパートで登場する小織の存在であろう。小織は記憶喪失の「僕」を見つけ、前世の恋人であると奇妙な言葉を投げかける。前世などという話しをミステリに持ち込んでしまうとミステリーじゃなくファンタジーやホラーになってしまう気がするのだが、そこはきちんとした説明がなされている。この小織の存在も「僕」の記憶解明に一役買っているところが不思議だ(というかしっかりしている)。

面白かったが頭の弱いりょーちにはちょっと複雑だった。どこでこの3つの物語がリンクするのか(若しくはしないのか?)がわかるようなわからないような感覚で700ページ以上もの分量を読んでいった。今この瞬間、再読すれば、もうちょっと違った感想が書けると思うが、それぞれのストーリーとしては納得感があった。
「I」の公安刑事久我の話しでは、公安として「夜叉の爪」を駆逐するために奔走する久我は正義のためとはいえ協力者(スパイ)に感情移入しすぎてしまう。自分は正義のために動いているはずなのだが、大きな正義に小さな犠牲はつきものと言い協力者をゴミのように扱う先輩刑事の藤倉のようには割り切れないしそんな生き方もしたくない。純な人間は「桜」(公安刑事の俗称)には向かない。そんな自分の心の葛藤と戦いながらも職務をこなしていく。しかし、協力者の斎藤が殺害され自分の中の何かが噴出する。
これと対称的な行動をつづけるのが鷲尾である。鷲尾は自分の中に飼う「蟲」を解き放つために、欲望の赴くままに警察という特権を十二分に活かし好き勝手な行動をとり続ける。警察組織がそれを許すわけもなく、程なく鷲尾は解職させられる。後ろ盾をなくした鷲尾には、過去に自分と同期の和久井のミスにより、手の指を失う過去を持っていた。鷲尾の中の「蟲」鷲尾をは次第により反社会的な行動へと向わせる。
「僕」はひたすら自分探しの旅を続ける。記憶喪失により茫然自失の状態であった「僕」は新宿で声をかけられた智恵子に拾われるように世話になった。そんな「僕」の前にある日小織という見ず知らずの女性から「あなたは斉藤拓也の生まれ変わりだ」と告げられる。小織と智恵子の間を行ったり来たりする僕はまたもや自分を知っているという山瀬という男に出会う。
本書はこの3つのストーリーが同時進行して(いるように)書かれている。
同じ作家(貫井徳郎氏)の作品だからかもしれないが、やはり「慟哭」を連想してしまう。慟哭の「犯人」(?)は上記の叙述トリックにより導き出されるようになっているが、本書は「犯人探し」がメインではない。「自分探し」のストーリーなのだと思った。「僕」の置かれていた環境がわかったとき「僕」の取った行動。これが800ページ近くにわたって綴られていたのかなーとも感じた。
警察内部の動きについても触れられているが、本書を読んでいると警察と公安ってやっぱ仲悪いのかなーと感じます。だから、警察小説には公安の登場頻度も必然的に高くなるのかと思う。公安警察は私達一般市民にとっては日ごろどんな活動をしているのかが見えにくいため、その暗部とも言える公安活動を想像するのは作者も読者も興味深いのではないでしょうか?

そして貫井徳郎さんの筆力も注目したい。これだけの分量を書ききって、読者に厭きさせず、一気に読ませるプロットとストーリーテリングは見事である。(だから貫井さんの小説は大好きです)
非常に心に残る名作であった。「心に残る」と書いて矛盾しているかもしれないが、忘れた頃に是非もう一度手に取ってみたい作品である。

ちなみに、keiitiさんのBlogでも本書を取り上げていらっしゃいますが、りょーちの推理も見事に外れましたことをご報告しておきます(^^;

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2004年11月16日

花村萬月:「笑う山崎」 このエントリーをはてなブックマークに追加

笑う山崎 (ノン・ポシェット)
花村 萬月
祥伝社
売り上げランキング: 103696


りょーち的おすすめ度:

「笑う山崎」の中には、下記の8編の短編が掲載されている。
1. 笑う山崎
2. 山崎の憂鬱
3. 山崎の帰郷
4. 炙られる山崎
5. 走る山崎
6. 山崎の情け
7. 山崎の依存
8. 嘯(うそぶ)く山崎

本書は元々「1. 笑う山崎」のみで終わる予定だったのだが、何故かシリーズものになったようである。花村萬月さんも文庫本の後書きの中でそのようなことを述べていた。
タイトルにもあるようにこの小説は山崎というヤクザの物語である。正確には山崎の家族の物語であると言ってもよいと思う。
ヤクザにも勿論家族はいる。ただ、「極道の女」などに代表されるヤクザ映画などで伝えられるヤクザの家族の話しとはちょっと違うかな? りょーちが思うにどこにでもある家族の話しが描かれているのだが、ちょっと違うのは山崎がヤクザだった点といったスタンスのような気がする。
この山崎、京大に入学したほどの頭脳の持ち主で非常に頭が良く論理的である。しかしその行動は非常に暴力的。出会ってすぐのホステスのマリーの鼻を殴りつぶす。山崎は時に非常な行動を繰り返し、関東・関西のヤクザに恐れられる。山崎の行動原理は極めて単純だがそれが何かというのはこの場では言及を避けたい。是非一読いただきたい。
山崎の非情な行動の例では、ヒットマン飛田に対する仕打ちがとりわけきつかった・・・
山崎を狙ったヒットマン飛田は、殺害に失敗した恐怖で薬物中毒となる。その後飛田を捕える。薬物中毒で錯乱状態になり、自殺しようとする飛田に山崎は薬物中毒の治療を手伝う。飛田は山崎の手助けの甲斐あり、薬物依存中毒から脱却し、一緒に住んでいた女の良江と真人間になる決意をする。表向きは飛田と良江の門出の手助けをしているようだが、実際は人間として立ち直り、生きる望みを取り戻した飛田を残虐な手段で殺害してしまう。このプロセスは読んでいてかなりに恐ろしかった。
こうやって書いてみると人非人としか思えないが、実は裏では頑張って「お父さん」しているのだ。鼻をへし折られたマリーとは実は程なく結婚してしまう。マリーの連れ子のパトリシアには頭が上がらず溺愛していると言ってもよい。娘が大きくなるにつれ自然と父から離れて行くが、山崎はそのことがとても悲しく、悩んでいる。「どうやったら娘に気に入られるか?」「どうやったら娘に嫌われないか?」これらの悩みは同じ年頃の娘を持つ父親共通の悩みである。ヤクザものの山崎はなにより家族を大事にする。ここでいう家族とはマリーとパトリシアというリアルな「家族」とヤクザ社会の「組」というファミリーの二つに言える。彼にはどちらも大事なのである。
大事であるがゆえに家族を踏みにじられた場合には非道とも思える仕返しを行う。先の飛田も普通ではこうも山崎は激怒するはずではないが、大事な舎弟であり目をかけていた横田が自分のかわりに殺されてしまったことに端を発す。山崎にしてみれば攻撃的自衛策である。横田は山崎からいろいろなことを吸収しはじめていた。単なる舎弟としてでなく男として、家族としての愛情があった。だからこその報復である。ヤクザの世界では「やられたらやり返せ」という感覚だから当たり前なのでは?と思ってはいけない。
誰よりも愛を欲している山崎だから与えられる愛。誰よりも人を愛したいと山崎は思っている。それはヤクザという仁義の世界を超えた愛なのかなとも思ったりした。
兎に角素晴らしい小説であることは間違いない。
りょーちは花村萬月さんの小説は「読まず嫌い」で今まで殆ど読んでいなかったのだが、かなり注目度が高くなった。彼は一貫して自己の人生観を書いている。小説家なら当たり前と思うかもしれないが言及したいのは「花村萬月氏独特の倫理感の一貫性」である。
どーしても花村萬月氏といえばその暴力性がクローズアップされるのであるが、暴力はあくまでも手段である。何をするための手段かといえば、登場人物の自己表現の方法なのかと思う。本書は妻と娘と組織の組員を愛する山崎の暴力を用いた愛の物語なのだ。暴力的な人間が紡ぎだす愛情に満ちた暴力に浸ってみるのもよいかと思う。

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2004年11月15日

有栖川有栖:「孤島パズル」 このエントリーをはてなブックマークに追加

孤島パズル (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)
有栖川 有栖
東京創元社
売り上げランキング: 9590


りょーち的おすすめ度:

有栖&江神シリーズの第2作目。前作から有栖も2回生に進級した。有栖の通う英都大学の推理小説研究会に入ってきた有馬麻里亜の嘉敷島にある別荘で起こる殺人事件。
前作の「月光ゲーム」に引き続き今回も江神の論理的推理が冴え渡る。具体的なストーリーについては記載を避けます。
本シリーズではこの江神も推理も勿論見所のひとつだが、もうひとつは登場人物の本格推理小説における薀蓄(うんちく)である。彼らは推理小説マニアなのである。彼らのミステリー小説の知識は本物の作者の「有栖川有栖」氏の知識に他ならないが、作者の推理小説における様々な考察は本当に幅広い。やはり職業作家としてはこれくらいの知識は必要なのかもしれないが、広くて深いです。複数の登場人物にクイーンやポーやその他の海外小説の話をさせている。日本の推理小説もたまには出てくるが基本は海外ミステリーが多く、しかも本格と呼ばれるジャンルである。さらに、登場人物個々に作家への思いを持たせることにより、議論の幅がかなり広がっている。
本作でもまた連続殺人事件が起こってしまう。江神や有栖達には警察のような科学的操作能力はないため、「孤島パズル」では検死の際の医学的考察を孤島にやってきた園部医師に委ね、自己の知識、推理力を頼りに事件を解決へと導く。このプロセスは何度読んでも秀逸だ。
シャーロックホームズに置き換えてみると、江神がホームズで、有栖がワトソン役になる。この構図もミステリ好きの読者には非常にわかりやすく馴染み深い。「孤島パズル」で綴られている殺人事件は所謂「孤島モノ」(クローズドサークル)であり最もスリリングなシチュエーションである。閉ざされた島にいる顔を見知ったメンバーの中の「誰か」が犯人であるため必然的に互いの中に「不安」が生まれる。しかも殺人者(犯人)の行動原理が不明なため、どう、自分を防衛してよいかもわからない。何故犯人が連続殺人を行っているのか?目的は何かが推量できないところに恐怖があり、全員が容疑者且つ被害者候補であり得る。前作の月光ゲームも同様のクローズドサークルものだった。有栖川有栖はこの空間的な閉塞感を巧みに操り事件全体を盛り上げていく。
本書ではフーダニット(「Who done it?」=「誰がそれをやったか?」=「犯人当て」)のパズルとは別にもうひとつのパズルが用意されている。それはこの孤島のどこかに隠された有馬鉄之助(麻里亜の祖父)の遺産である。鉄之助は生前、孤島全体をひとつのパズルとして構築し、このパズルを解いた人間に遺産を与えるという遺言を残している。手がかりは島全体に点在するモアイ像(って言ってもイースター島じゃないですよ)。
この二つの謎に江神・有栖・麻里亜が挑むのだ。そして彼らの導く解答には悲しい結末が用意されている。
江神の推理の美しさは「小さな事実をひとつづつ積み重ねていくことで大きな真実を導く」ことにある。そこには論理的な飛躍や江神だけが知り得た(読者に明かされていない情報)もなく、それゆえ「読者への挑戦」も成立する。
江神・有栖コンビの小説に一貫しているのはトリックのためのミステリーではなくストーリーありきのミステリーとして構成されていることにあり、決して一発もの(トリックがわかってしまえばもう読む気が生じないもの)ではない。今まで本書を読まれた方も再読してみては如何かと思う。
読みながら、なんとなく、霧舎巧さんを想像してしまったのは私だけなのでしょうか?(有栖川有栖さんも霧舎巧さんもどちらも大好きですが・・・)

ちなみにりょーちはこれを読んで「学生の頃はよかったなー」と思ったりしました。(青春小説?)
あと、もうひとこと言っていいですか?

江神さん。あなた、かっこよすぎです。


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2004年11月11日

貫井徳郎:「貫井徳郎症候群」 このエントリーをはてなブックマークに追加

別冊宝島「貫井徳郎 症候群」 (別冊宝島 (1085))

宝島社
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りょーち的おすすめ度:

今日、ふらりと立ち寄った本屋に平積みになっているのを偶然発見して、値段も碌に見もせずに速攻で買った。
貫井徳郎フリークなら本書の「貫井徳郎症候群」のタイトルは、「失踪症候群」「誘拐症候群」「殺人症候群」の症候群3部作を捩ったのがご理解いただけるかと思う。
いやー、はじめの方だけしかまだ読めていないんだけど、かなりありですな。
冒頭は瀬名英明さんとの対談だったり、北村薫さんの明かす貫井徳郎デビュー秘話(鮎川哲也賞を貫井さんが受賞した際の選考委員をされていた)など盛りだくさんである。256ページ丸まる楽しめそうな予感がするばい。
作品ひとつひとつも丁寧に紹介(というか分析?)されていたりして、「ちょっと奥さん聞いてよ」状態である(←すみません。錯乱気味です・・・)

あと、あまりメディアで触れられていないのですが、明詞シリーズ(妖奇切断譜や鬼流殺生祭など)も詳細に取り上げられており、りょーちとしては狂喜乱舞です。
四六判単行本の書籍なのですが、「死の抱擁」という長編未発表小説が掲載されており、かなり満足度が高い一冊に仕上がっています。

貫井さんのホームページを拝見すると、
10月30日
 『貫井徳郎症候群』の見本ができた。岩郷重力さんの装幀が、いつもながら大変素晴らしいです。店頭には早いところで11月2日には並びます。税込み価格1260円。
 これまでの別冊宝島小説家特集のように雑誌サイズの大判ではなく、四六判単行本と同じサイズですので、お見逃しないように。

と書かれており、貫井さんも楽しみにされているようです(^^;

また、この本に寄稿されている佳多山大地さんのBlogにも本書について言及されています。本書の中で佳多山さんがご指摘されているグリム童話の話しも興味深く拝見させていただきました。(「プロのレビューはやはり素晴らしいです」)

貫井徳郎信者(?)は是非購入すべきかと強く思います。


(早く続きを読みたいっす)
貫井徳郎さんWebサイト



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ヘンリー・ウィンターフェルト:「星からきた少女」 このエントリーをはてなブックマークに追加

星からきた少女 (少年少女新しい世界の文学 13)
ヘンリー・ウィンターフェルト
学習研究社
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りょーち的おすすめ度:

本サイトは「りょーちの駄文と書評とアフィリエイト」なので、アフィリエイト関連のものをもっと沢山紹介したり、アフィリエイト商品について直接的な記事を書いたりすればいいのかもしれないが、最近、アフィリエイトはかなり適当にやっておこうという気になっており、どっちかと言えば「書評」の部分に拘(こだわ)っていきたいと思ったりしている。
何でこんな書き出しかといえば、紹介する、「星からきた少女」が絶版になっているからである。amazonやbk1にリンクを貼っても買えない本なのだ。だからアフィリエイトは無理だねとふと思ったので上述のよーな表現になってしまったのだ。
この本は近所の図書館で借りてきた。今現在どこにも売っていないので図書館などでお借りいただければと思います。
参考までに復刊.ドットコムさんで、現在14票しか集まっていません・・・(りょーちは1票いれましたよ)


本書の初版発行日が1969年3月20日なので、かなり古い本である。あとがきから抜粋すると、作者のヘンリー・ウィンターフェルトさんは1901年ドイツの首都ベルリンで生まれたが1940年に第2次世界大戦のあいだにアメリカに移住し、そのままアメリカに住み始めました。1990年に残念ながら他界されました。
本書は1960年度ドイツ児童図書の優良作品に選ばれました。

森の中で妹たちと一緒に遊んでいたワルターは、このあたりではみかけたことのない、綺麗な服を着た女の子に出会いました。彼女はモーという変わった名前で、年は「87歳(?!)」で、アスラという別の星から来たと言っています。モーはアスラで地球学専攻のお父さんと一緒に宇宙船に乗っていたのだが運悪く宇宙船から落ちてしまったとのこと。
にわかに信じられない話しなのですが、いろいろ話をしていくうちにみんながモーは宇宙人だと信じるようになりました。モーは今晩宇宙船で父が迎えに来ると約束したとのこと。日が落ちたらアスラの方角に向かって歩いていくと原っぱに出るのでそこで待ち合わせしましょうということになっているらしかった。ワルターたちはモーをアスラに返してあげようとみんなで考えましたが、日が落ちるまでまだ時間もあるので、村にモーをつれて帰りました。
モーが身に着けていたものの中に立派な首飾りがあり、時計鑑定士に言わせれば100万もする高価なものらしかった。そこに警察官がやってきました。大人たちはモーが宇宙人ということを信じていなかったので、モーは頭のおかしい泥棒だと思ったようです。警官はモーを捕まえようとしますが、ワルターは首飾りを持ってモーと一緒に逃げます。
宇宙船の来る時間はまだなのですが、なにしろ狭い村なので逃げる場所も隠れる場所もあまりなく、更に行く先々でモーは(人間からすれば)非常識な行動を取ってしまいます。お金を払わずに売り物のリンゴを食べたり、売り物の鶏をかわいそうだと思い勝手に逃がしたり村は大変な騒動になり、モーを探し回ります。村の人はモーがアスラから来た宇宙人ということを全く信じていません。信じているのはワルターやロッティ、グレーテ、オットーなどの子供たちのみです。
お父さんとの待ち合わせ場所の原っぱまでモーはたどり着けるのか? お父さんは来るのか? モーはアスラに帰れるのか? それともホントにたんなる嘘つきの少女だったのか?

この物語は子供向けに書かれているのですが、しっかりSFしています。また推理小説のような趣向も凝らしてあります。とってもいい話しでした。
子供たちの純粋な心が非常に美しく思える一作です。なお、本書は冒頭にも記載いたしましたように、現在(おそらく)どこの書店でも取り扱っていません。(amazonにusedで売られているくらいかな?)
図書館などで是非お探しください。(ちなみに、りょーちも図書館で借りて読みました。)

この本をご存知の方がいらっしゃったら感想などをお聞かせいただければと思います。

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2004年11月09日

角田光代:「キッドナップ・ツアー」 このエントリーをはてなブックマークに追加

キッドナップ・ツアー (新潮文庫)
角田 光代
新潮社
売り上げランキング: 117121


りょーち的おすすめ度:

こういった本を読むと心が洗われます。
本書はジャンルとしては児童書に分類されるかと思いますが、大人の人にも是非読んでいただきたい一冊です。お子さんのいらっしゃる家庭では親子ともども読んでみてもいいかもしれません。

登場人物は小学校5年生のハルという女の子とお父さん、お母さん、その周辺の人々。この物語は夏休みの初日にハルが「誘拐」されるところから始まる。いきなり何の前触れもなく出てきた犯人に「いまから君を誘拐するよ」とにべもなく告げる犯人。ハルは抵抗するでもなく、寧ろ面白がって誘拐犯に着いていく。この物語はハルと誘拐犯のひと夏の思い出旅行として綴られていく。
分別もある小学校5年生がいとも用意に誘拐されちゃうのには理由がある。誘拐犯は自分の本当のお父さんだったのだ。ここ最近帰ってこないお父さんが乗りなれないレンタカーでやってきて、自分の子供を誘拐して逃避行しちゃうのだ。

このお父さん。全くダメ親父である。物語の大半はハルの視点で書かれている。ハルは以前から「冴えないお父さん」という印象を持っていた。お母さんが貝にあたって腹痛に苦しんでいるときにも「お、おめでたか? でもオレには記憶がない。誰の子だ?」とデリカシーのない発言をしたり、間違って燃え残ったタバコの灰をゴミ箱に入れて部屋中煙だらけにしても「ファッションショーだ」などとふざけている、尊敬できないお父さんなのだ。

こんなお父さんとの数日間における逃避行のお話し。お父さんは行く先々でも無計画な行動(本人はキチンと計画しているつもりなのだが・・・)を取り、やっぱりダメなお父さんなのだが、ハルはそんなお父さんに一種母性愛のようなものを抱きはじめる。
このあたりのハルの微妙な心情の変化は読んでいて心洗われます。
この本は結果ではなくプロセスを感じ取って欲しいです。「誘拐したあとどうなるのか」「犯人(お父さんだけど)の要求は何か」とかそういったものはどーでもいいのです。
どっちかといえばりょーちは、このお父さんにそっくりな無計画且つだらしない人間なのでどうしてもお父さんに感情移入しちゃいます。
子供は両親を選べない。ならば、両親も子供も歩み寄って家庭を築くべきなのはわかりますが、どーしても立ち行かない場合もあります。この物語のお父さん、お母さんが離婚したとしてもハルは元気に育って欲しいし、たまにはだらしないお父さんとも会って「あ、またこんなことしてる」とだらしなさを確認するだけでもいいので、会話をしてほしいと思いました。
ラストもほろりとさせます。とてもキレイな気持ちになる作品でした。

角田光代さん、素晴らしい作品をありがとうございました。



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posted by りょーち | Comment(10) | TrackBack(6) | 読書感想文

2004年11月07日

梅原克文:「二重螺旋の悪魔」 このエントリーをはてなブックマークに追加

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りょーち的おすすめ度:

何故か上手く理由が説明できないんだけど、何回も読んでしまう小説ってないですか?
りょーちの中では梅原克文さんの「二重螺旋の悪魔」はそのひとつです。この本は予備知識や世評を聞いて購入したのではなく、なんとなく本屋を徘徊しているうちに偶然目が合った本でした。購入はかなり前でしたが、もう5回くらい読んでいます。

この作品の持つ雰囲気が個人的に好きなんですよね。決して万人受けする本ではないような気もするのですが、私的にはツボでしたね。

本書のタイトルの「二重螺旋」とはDNAの二重螺旋構造の意味です(って言ってもりょーち、ホントはよくわかっていないんですが・・・)。バイオハザードっぽい小説では、「遺伝子を組み替え実験中に突然凶暴な生物や細菌が作られてしまってさあ大変。どーしましょー」的な感じなのですが、本書ではもう一段階か二段階上のレイヤーのお話です。

深尾直樹は遺伝子操作監視委員会の「C部門」の調査官である。人間のDNA内のジャンク情報だと認識されていたイントロンに封印されていた怪物を呼び寄せてしまったライフテック社に単身乗り込む。深尾は以前勤めていた企業で自分自身でこの怪物GOOを呼び寄せてしまったことがある。その企業で知り合った昔の彼女の梶知美がライフテック社にいるのだ。P3施設内に乗り込み、苦労の末GOOを始末する。
しかしそれは更なる恐ろしいストーリーの冒頭部分でしかなかった。
人間の遺伝子にGOOを封じ込めていたのはEGODという宇宙誕生以前からいた知性体であった。
深尾達最終軍はEGODとの最終対決に望む・・・

うーむ、話が壮大すぎて、りょーちの文章能力ではうまく纏められないのですが、ジェットコースター的なストーリーで「一難去ってまた一難」の連続です。その一難を起こすのも解決するのも主人公の深尾が活躍?する。この深尾の軽口があまりに気障(きざ)ではじめはちょっと抵抗があったが、読むにつれてむしろその性格が好きになってくるから不思議だ。

本作品は映画化もしくは映像化(アニメーションでも何でもよいのですが・・・)してもらえたら嬉しい作品のひとつです。ラスボスが目まぐるしく変わるという意味ではゲーム化しても面白いかもしれません。

作者、梅原克文さんの強烈なパワーを感じる素晴らしい作品です。
ちなみに、梅原克文さんはSF作家ではなくサイファイ作家ですのでみなさまご注意ください。
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