2005年02月24日

日日日:「ちーちゃんは悠久の向こう」 このエントリーをはてなブックマークに追加

ちーちゃんは悠久の向こう (角川文庫)
日日日
角川書店(角川グループパブリッシング)
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りょーち的おすすめ度:お薦め度

新井素子さんが「あたしの中の……」を発表したのが高校2年生。小林めぐみさんが「ねこたま」を発表したのも高校生の頃だった。素晴らしい若者はたくさんいるんだねー。
そんな中、最近巷を賑わしている高校生作家がいるらしい。その人の名前は日日日(あきら)という。最近この名前を本屋や書評系のWebでよく見かける。一瞬乱視になったのかと思ってしまうようなこの名前。おそらく「晶」という文字からとったペンネームだと思われる。
本書は、第4回新風舎文庫大賞の受賞作。日日日さんは、その他に第1回恋愛小説コンテスト ラブストーリー大賞(私の優しくない先輩)、第6回エンターブレインえんため大賞 佳作(狂乱家族日記)、第8回角川学園小説大賞 優秀賞(アンダカの怪造学)、第1回MF文庫J新人賞 佳作(蟲と眼球とテディベア)などともうそこら中の賞という賞を取りに取りまくっている、今ノリノリの作家さんのようである。

不思議な作品でしたね。この本。ホラー小説、ファンタジー小説、青春小説がミックスされたヘンな空間ですな。主人公の「僕」こと久野悠斗は両親の家庭内暴力に会い虐待されている高校生。隣に住む幼馴染のちーちゃんこと歌島千草とは同じ高校に通い同じクラスの女の子。
ちーちゃんは昔からオカルトとかホラーとか不思議なものが心から大好きで悠斗を怖がらせる話しばかりしていた。そして、幽霊に遭遇するなどの超常現象を体験したいと常日頃から考えていた。そんなちーちゃんは周囲から変わり者扱いされ、教室内でも話しをするのは悠斗だけであり、昼食も悠斗と一緒に食べていた。悠斗とちーちゃんはその後、クラブ活動に入部することになる。本来クラブ活動などやっている暇も金もない悠斗は何故か武藤白(女性)が部長をやっている陸上部へ。ちーちゃんはそのままの思考でオカルト研究会(通称オカ研)のような怪しげな部に入っていく。ちーちゃんはオカ研で発見した「学校の七不思議」を調査すべく悠斗を誘い、手始めに「苔地蔵」の調査に取り掛かる。そこでは男女二種類の血を苔地蔵に与えることにより願いが叶うといわれていた。ちーちゃんと悠斗は苔地蔵に血を分け与え願い事をお願いした。ちーちゃんの願い、それは「幽霊を見ること」だった。
そして、図らずもそのちーちゃんの願いが叶ってしまう。ちーちゃんは幽霊を見ることができるようになったのだ(まじですか?)
しかし、その後ちーちゃんは日に日に壊れていく。ちーちゃんは非日常を求め、両親に虐待され、満足に食事も取ることができなかった悠斗は日常を求めていた。二人の思いは日に日にすれ違ってきた。そして、武藤白の突然の告白を受けた悠斗はちーちゃんへの思いを感じながらも白を受け入れてしまう。

非常に楽しく読めた。ともすれば、かなり陰鬱になりそうなストーリーを作者、日日日の軽妙な文体が解きほぐしてくれる。しかし、その軽妙且つ面白おかしい文体が一層物語りに深い悲しみを与えてくる。ふざけたペンネームで期待せずに読み始めたが彼はイイですよ。椎名誠の「オモシロカナシミズム」とは少し違うのですが、余韻が残る一冊となりました。
これで、高校生ってちょっと凄いよ。そして高校生にして既に多くの小説を書き上げる日日日さんの今後の活躍を是非是非期待したいのだった。


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2005年02月23日

霧舎巧:「ドッペルゲンガー宮」 このエントリーをはてなブックマークに追加



りょーち的おすすめ度:お薦め度

20世紀最後の新本格派推理作家、霧舎巧をご存知でしょうか?

本書「ドッペルゲンガー宮」は霧舎巧さんのメジャーデビュー小説なのである。
ちなみに「霧舎巧」というペンネームはあの島田荘司さんが名付け親だそうである。
本書はどことなく有栖川有栖さんの江神シリーズを髣髴とさせるストーリーなので、江神シリーズの好きな方にはお薦めの一冊である。実はこの「ドッペルゲンガー宮」も「あかずの扉」シリーズとして、現在2005年2月までに「カレイドスコープ島」「ラグナロク洞」「マリオネット園」とビシビシと出ているのである。でも「マリオネット園」以降、シリーズが中断しているみたい・・・
で、おそらく、霧舎巧さんはこの「ドッペルゲンガー宮」を書く際にシリーズ化をある程度見据えていたのではないかと思う。
有栖川有栖さんの「江神シリーズ」をご存知の方は、あかずの扉研究会会長の後動悟は江神。二本松翔は有栖という構図で読んでみればわかりやすいだろう。由井広美は思い当たる節がないんだけど、「孤島パズル」の麻里亜というよりも、森博嗣さんの犀川創平シリーズの西之園萌絵に近いかも。
で、当然、後動悟はホームズ役、二本松翔はワトソン役となるのである。このあたり、ある意味推理小説の王道ですね。
先にも記載したように、本書は「あかずの扉研究会」シリーズの1作目となっているため、前半部分の人物紹介が少し冗長だったのはいたしかたないかと思う。ただ、ラスト付近の謎解きはそれにもましてかなり長めだった。本格推理小説好きの方にはもしかしたら垂涎の展開なのかもしれませんが、ちょっと長かったかな?
でも、謎解きが長い理由として犯人の綿密な計画を看破する後動悟の論理的思考と真相にたどり着くまでに用意された数多くの伏線を考えれば気持ちのいい分量かもしれない。
本シリーズは北澤大学に通う二本松翔という青年から見た視点で物語が紡がれていく。「ドッペルゲンガー宮」は翔が北澤大学の「あかずの扉研究会」に入部するところから物語が始まる。
「あかずの扉研究会」は文字通り「あかずの扉」を研究するサークルである。大学にこんなサークルがあったら「入りたい!」と思うあなたは推理小説フリークでしょう。
構成メンバーは翔と同学年の不思議な少女、由井広美。広美とは別の意味で不思議な霊感のよーな能力を持つ綺麗なお姉さん、森咲枝。自称(ホントに自称なのだが)名探偵の鳴海雄一郎。「あかずの扉研究会」には必要だと思うどんな鍵でも開けられる(らしい)大前田丈。そして会長で素晴らしく頭脳明晰な後動悟(でも五年生?)。
本格推理小説に必要な要素をそれぞれが持っているというメンバーが小説のように(?)偶然集まっている。そしてワトソン役は先に紹介した二本松翔なのである。
なぜ推理小説にワトソン役が必要かといえば、読者と同じ目線を持つ、または読者よりちょっとだけ賢い頭脳の持ち主が必要なのだ。そしてそのワトソン役は読者を上手くミスリードし、真相にたどり着く道を迂回しながら進ませる舵取り役なのだ。
そういう意味で言えば本書に登場する二本松翔はワトソン役としてパーフェクトに立ち回ってくれている。
ストーリーだが「あかずの扉研究会」に行方不明の女生徒を探して欲しいという依頼が舞い込んでくる。依頼人は一般の人には全く知られていない超名門女子高校(そんなことあるのか?)の教員からだった。行方不明の女生徒、氷室涼香は祖父の氷室流侃が当主となる流氷館とよばれる館に囚われているという。
自称名探偵の鳴海は行きがかり上、氷室涼香救出のため流氷館へと潜り込むが、そこでは恐るべき連続殺人事件が待ち受けている。

本書の読みどころは幾つかあるのだが、本格推理小説が根っから大好きな人間だと思われる人(=霧舎巧)が書いた本格推理小説なので、推理小説に関する数多の薀蓄が随所に溢れている。(このあたりは有栖川有栖氏の江神シリーズと同様)
次に、伏線の張り方に余念がない。来るべきラストに向けて着々と準備されている伏線が本物の名探偵の後動に解かれる(説かれる)プロセスは本格好きでない推理小説ファンにも読み応えがあるであろう。
次に、青春小説としても(一応)成り立っている。このあたりも江神シリーズとオーバーラップするところがある。
で、ここまで書いて、以前りょーちが書いた「孤島パズル」の感想を読み返してみると似たようなことが書かれている(^^;
江神と後動の両者はホントかっこよすぎです。
犯人と思しき人物が二転三転するのですが、当然、最後は後動悟がキメてくれちゃいます。爽快ですよ。
いろいろなサイトを見て見ると本書には賛否両論ある見たいですが、りょーちはどちらかと言えば好印象でした。論理に破綻のない本格推理小説を読みたい方は霧舎巧はお薦めです。1点気になるところを挙げるとすれば、キャラクターが「おとなしい」かな? お上品とも言えるのかもしれませんが、折角特長のあるキャラ設定なので、もうちょっとキャラが持つ本来の動きをさせてあげたらいいのではないかと思います。(偉そうにすみません・・・)

霧舎巧さんには「あかずの扉研究会」の続編の執筆を是非是非お願いしたいです。(2001/10以降出ていないよーな気が・・・)
どなたか「あかずの扉研究会」の続編についての情報をお持ちの方は教えてくださーい。

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2005年02月22日

椎名誠:「さらば国分寺書店のオババ」 このエントリーをはてなブックマークに追加

さらば国分寺書店のオババ (新潮文庫)
椎名 誠
新潮社
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りょーち的おすすめ度:お薦め度

昔出版した書籍が何年たっても色あせず、今読んでも共感できる本っていうのを名作というのであろう。そういった本は時代背景などに関係なく人々に感動を起こす書籍である場合が多い。でも「今読んでも笑える本」ってのは結構少ないのではないか?
そんな中、10年以上前に出版された本書「さらば国分寺書店のオババ」をダンボールから引っ張り出して再読した。
うーむ。やっぱり未だに笑える。
時代的にはJRがまだ「国鉄」と呼ばれていた時代。この本は作家としてオギャアと生まれてきたばかりのシーナマコトの産声のよーな小説である。生まれたばかりの赤ちゃんは「今、こんなところで泣いてはいけない」などと思わずあたり構わず泣き叫ぶ。椎名誠さんの叫びの原動力は「世間に対しての怒り」だったのではないかと思う。そして彼の言う「世間」とはシーナマコトさんの半径5メートルくらいの範囲だと思う。
なので、一般のジャーナリズムの方々のように「オレのペンで世の中を変えてやろう」などと(思っていたかもしれないけど)いう感じではなく少なくとも自分の周りだけは何とかしてくれという気持ちがうかがえる。
しかしその背伸びをせずに自然体のままで世の中を見た視点は人々に「そーだそーだ」「その通り」「あんたが大将」などと共感を与える。で、彼の作品に共感した人々は彼のことを好きになっていくのである。一度食べたら最後、気づけばシーナマコトの恐ろしくも心地よい世界にどっぷり浸かっていることに気づくだろう。
本書の前半部分、彼はホントにいろいろなものに怒りをぶつけていた。
その目次だけ拾って見ても十分楽しめる。
1. 国鉄はいま わしらの眼をまともに見ることができるか
検察/業務連絡/乗り越し料金/電気ドリル/カラオケ超人願望/最終電車
2. 日本の”本官”たちはいったい何を話しておるのか
交通整理/国分寺駅前派出所/南口ロータリー/国分寺書店/ビールとラーメン/忍者影丸/東京地方検察庁/毒だみが原のアリ地獄/派出所の会話
3. 死ね! そこいら中の制服関係の皆様
深夜の激闘/憤怒の底流/地獄の路線バス/甲子園はクソ劇画である/うるさいのだ/オババの正体
4. うに寿司のジャーナリズム的摂取方法
公務員の算数/制服人間粉砕同盟人民戦線/生牡蠣とロースとビーフの問題/涙の目標管理/産業界タマタマの法則/痴的おかま的マイルドセブン
5. 夕陽にむかい背を丸め痛恨のチーズケーキ九六〇円の春
車掌の本分/国分寺カバ/オババの運命

もう、読む前からワクワクするラインナップじゃないですか?

どれもこれも等身大の椎名誠さんの詰め合わせなのである。これだけの完成度でデビュー作というのだからやはり椎名誠さん、おそるべしなのだ。そして嵐山光三郎さんの後書きも非常によい。何がよいかといえば貶しているのだか褒めているのだかわからないところがよい(いや、やっぱ、絶賛しているんだよなー)。単語だけ取って見たらネガティブな単語がポンポンと飛び出すのだが、やっぱ褒めちぎってます。

りょーちとしては、椎名誠さんの「世の中を見る視点」が非常に好きである。学生時代は「哀愁の町に霧が降るのだ」「新橋烏森口青春篇」「銀座のカラス」の一連の私小説に心を奪われ、克美荘日記に私も一筆書きたかったなーなどと昭和の時代に青春を謳歌する貧乏学生達に共感し、のめないのに「クレバワカル」という居酒屋で一杯やってみたいなーと思ったりした。このあたりの本を読んでいると不思議と椎名誠さんと青春時代を共有したと感じちゃうところがまた凄いのだ。

で、繰り返しになっちゃんだけんども、りょーちの中では本書「さらば国分寺書店のオババ」は「何か小説読みたいなー」でも「手元に新しい小説がない」というときに引っ張り出される小説だったりします。
りょーちのお気に入りのエピソードは「生牡蠣とロースとビーフの問題」である。これはもう廃刊になっちゃったんだけれど「噂の真相」という雑誌が創刊されたときのパーティの話しである。このパーティに呼ばれた人々はマスコミ関係者の人であり、椎名誠さんも呼ばれたのである。それまでビジネス界のパーティには参加したことがあった椎名さんはマスコミ関係者・ジャーナリストの方々横暴且つ横柄なパーティでの礼儀作法(?)に怒りを覚えたというお話し。これってよく読むと「寿司が食えなかったことへの怒り」というだけなのだが、椎名誠にかかれば抱腹絶倒は必至の出来事に仕立てあがるから不思議だ。パーティの中での椎名さんの怒りに打ち震える様子がありありとイメージできるのだ。日常の出来事を面白おかしく小説にするということは言うなれば普通の日常生活でも見方を変えれば「楽しく生活できる」のだということを気づかせてくれる。

で、更に椎名誠さんのすごいところは今まであれほど拳を振るわせるほど怒りに満ち、糾弾していた人々を最後の最後でフォローしている。このフォローも「なんか怒ってばっかりだと各方面、各関係者、新郎新婦代表、ご家族の皆様に反感を買うから謝っちゃえ」というスタンスではなく、自分の怒りを向けていた人々を別の側面から客観的に見て「許して」いるのだった。(ここがすばらしいばいね)

本書のタイトルにもなっている「国分寺書店のオババ」は国分寺駅付近にある古本屋を営むオババであり、椎名さんは古本屋を売る際に勇気を振り絞ってこの国分寺書店に行っていた。あの、椎名さんが畏怖するほどのオババはどれほどの威力を秘めているかは本書をお読みいただきたい(なお、本書に登場する国分寺書店は既になくなっているようである)。で、このオババにも最初は罵詈雑言を並べ立てていたのだが、椎名さんが改心(?)するプロセスはちょいと「ホロリ」と泣けてくる。
「八代亜紀の舟歌が流れる安い居酒屋で小学校の初恋の相手に似た人を見かけたのだがやっぱり人違いだった。あーあのころはよかったね」
などと新橋で一人ごちているサラリーマンのよーな哀愁を感じる。(謎)

ちょっと元気がなくなったらまた再読したい一冊なのだ。いまや全世界を飛び回って未だ青春真っ盛りの椎名誠さんには今後も是非是非頑張っていただきたいのであった。

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2005年02月21日

雫井脩介原作「火の粉」のドラマ放映を見て このエントリーをはてなブックマークに追加

火の粉 (幻冬舎文庫)
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雫井 脩介
幻冬舎
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ってことで、先週の土曜日、雫井脩介氏原作の「火の粉」のドラマが放映されちゃいました。雫井脩介氏および「火の粉」の読者の方々のいろいろなご意見もあることと思いますが、総じて「まあ、あれはあれでいいのでは?」と思いました。
ドラマはこうだったけど、原作はもっと面白かったって風評が流れれば、雫井脩介さんへの注目や期待度も高まりますし、雫井脩介さんのより素晴らしい作品が話題となればこれもまたファンとしてはありがたいことです。
まあ、100%バッチリOKとまではいかないのですが、りょーちとしては「ラストが書き換えられていた」ことに非常に納得がいかなーい!(と思ったばい)。

小説を原作として2時間で全てを語ることには限界が勿論あるので、パーフェクトとまでは勿論いかないわけで、原作の登場人物と配役を前回、「雫井脩介「火の粉」テレビ朝日系列で2月19日(土)ドラマ放映!!」で紹介いたしましたが、まあ、よかったのではと思われる配役は、雪見役の原沙知絵さんかな。意外と頑張ったのではないでしょうか?
ダメ夫である俊郎役の嶋尾康史さんは、そのダメさ加減は演技力なのか演技そのものがダメなのか、よくわからんかったよ。
武内役の村田雄浩はやはり上手い。あの不気味さはちょっと怖いよ。押え目の演技とその後の豹変ぶりは◎ではないけど、○だろう。
ドラマの雰囲気を壊すのではなかろうかと懸念していた柳沢慎吾も見て見れば(池本役でなら)及第点だろう。
って、こんなエラソーな書き方して「オレは何様なんだ?」と自問自答しちゃったりするんだけど雪見役の原沙知絵さんは繰り返しになりますが、よかったんじゃないかな?あまりにキャラの強い女優の方だと雪見役には合わない気がしていたんですが、原沙知絵さんは沈鬱な表情がやはり似合うね。

このドラマを見て再度配役を考えるなら、りょーち的には下記のよーな感じかも。主なメンバーの配役を勝手に考えて見た。()内は実際の配役。

梶間雪見  ・・・ 伊藤かずえ/西田尚美/中越典子/畑野浩子/(原沙知絵)
武内真伍  ・・・ 大鶴義丹/加勢大周/柏原崇/段田安則/豊原功補/(村田雄浩)
梶間勲   ・・・ 小林稔侍/西岡徳馬/蟹江敬三/(愛川欽也)
梶間俊郎  ・・・ 大澄賢也/豊原功補/相島一之/(嶋尾康史)
池本亨   ・・・ 清水國明/渡辺いっけい/益岡徹/(柳沢慎吾)

って、どうでしょう?
ちょっとパターン化してますけど、伊藤かずえさんとか結構イメージにあってそうな気がするのは気のせい? ちなみに伊藤かずえさんは、TBSで今日から始まる「聞かせてよ愛の言葉を」で松村雄基さんと共演するっぽいですね。このドラマ、昔の大映テレビを彷彿とさせるキャスティングだなー。ナレーション担当は来宮良子さんで、「ヤヌスの鏡」や「アリエスの乙女たち」のナレーションをやっていた人のよーである。大映テレビ世代の30代半ばくらいの主婦層がターゲットなのかも。これも要チェックか? 
池本の場合は猫車で運ばれてしまうときのイメージが非常に強かったので強烈なイメージを残しながらも儚く世を去りそうな人を選定。
勲役は本来であればメインキャラであるはずなのですが、元裁判官という設定なので重みのある役者さんを配役してみた。俊郎は読者や視聴者から「あー、なんでお前はそうなんだ?」というもどかしさを生じさせる役割なので難しかったのですが、豊原功補さんなどはかなり上手く演じてくれそう(役者さん本人にしてみれば不本意かもしれませんが)。で、問題の武内なのですが、あの豹変する演技を上手くやってくれる人はかなり難しいかも。実体験で不遇な目に最近あっている大鶴義丹とかは異常な演技が似合いそう。
畑野浩子さんと柏原崇さんの夫婦対決も見て見たい気が・・・
あと、りょーちのお薦め俳優さんとして豊原功補さんを挙げたいかも。豊原功補さんの演技は安定感があって、落ち着いて見ることができる気がする。シリアスな役とかビシッとやってくれそうだな。
うーむ。小説のキャスティングを考えるのって意外と楽しいかも。1冊で2度おいしいな。こりゃ。

で、「火の粉」のストーリー部分にちょいと言及しますと、先にも書きましたが「ラストは変えないでほしかった・・・」
原作どおりのラストはやはりあまりに切ない、やりきれない、後味悪いってのはわかるのですが、あのラストだけは譲れない気がするんだなー。でも原作のままのラストをテレビで放映するのは難しい気も確かにしますね。

まあ、いろいろ書いて見ましたが、2時間いう限られた時間の中でのドラマ化ということを考慮すれば、総合的にはよかったのではないでしょうか?
まあ、このドラマを通じて更なる雫井脩介ファンの急増を望みます。
ドラマをご覧になったみなさんはどのよーに感じたのでしょうか?非常に気になるところです。もう少し経ったら「火の粉」のドラマについていろいろなBlogで(こんなふうに)取り上げられるとおもいますので、ちょこちょこ覗いてみたいと思います。

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2005年02月16日

奥田英朗:「空中ブランコ」 このエントリーをはてなブックマークに追加

空中ブランコ (文春文庫)
奥田 英朗
文藝春秋
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りょーち的おすすめ度:お薦め度お薦め度

爆笑。そして爆笑。
どーよ、奥田英朗。

本書「空中ブランコ」は「イン・ザ・プール」の続編。そう、あの男、伊良部が帰ってくるのだ。概して世の中いろいろなものが帰ってきてますな。「帰ってきたウルトラマン」とか「帰ってきたアルバイト探偵(大沢 在昌)」とか「帰ってきた桃尻娘(橋本 治)」とか「帰ってきたドラえもん」(どーでもいいけど、「どらえもん」で変換するとキチンと「ドラえもん」になるところが素晴らしい・・・)とか「帰ってきたジェイソン」とか「帰ってきたヨッパライ」とか、もう、世の中帰りまくりなのだ。(ってここまでの文章ホント意味ないかも・・・)
まあ、兎に角、伊良部かまたもや帰ってきたのですよ、奥さん(誰?) 超常現象や都市伝説にも匹敵しそうなキャラ。イン・ザ・プールだけで終わってたまるか。鈴木光司よろしく、「リング」「らせん」「ループ」の勢いで突っ走って欲しい。(ちなみにりょーち的には「バースディ」は余計だった気がする・・・)
しかし、誰だよ、こいつに医師免許発行したの。面白すぎるじゃん。尾辻さんだか坂口さんだか、よく知らないけどホントにこんな医者がいたら世も末です。ブラックジャックの生みの親の手塚治虫先生もピノコと一緒に天国で嘆かれていることでしょう。
更にどーでもいいのですが、現職の厚生労働大臣の尾辻秀久氏のプロフィールに「昭和39年、23歳で東京大学入学。在学中に、5ヵ年をかけ国産車で世界77カ国を巡る。」などと書かれています。やんちゃな感じがしてちょっと好感を持ったかも。
冗談は、坂口力さんの髪型だけにして話しを進めますと、本書「空中ブランコ」も前作の「イン・ザ・プール」のように、5つの症例(?)が収録されています。

「空中ブランコ」
サーカスというのは非日常という感じがします。幼少の頃に地元に来ていた木下大サーカスを見て感動した記憶があります。そーいえば最近サーカス団という言葉自体をあまり耳にしない気がします(安田大サーカスはおいといて・・・)。そんなサーカスの花形といえばやっぱり空中ブランコでしょう。普通では考えられないことをやってのける彼らも一人の人間。心の病に落ちることもあるでしょう。
新日本サーカスの空中ブランコ担当の山下公平は最近、キャッチャー内田が自分をキャッチするのを拒んでいると感じ怒っていた。演技部長の丹波に「疲れているんだから一度病院で見て貰ってみては?」と諭され、睡眠薬でも貰ってこようという軽い気持ちから伊良部総合病院を訪ねた(あーあ。行っちゃった・・・)。
待ち受けるは我らが伊良部医師。診療そっちのけで、サーカスに行きたがる。山下は面倒とは思いながらも社交辞令で適当な相槌を打つ。そこがもう間違いの始まり。きっと山下は「イン・ザ・プール」をまだ読んでいなかったに違いない。ちゃっかり翌日には伊良部がサーカス団に顔を出してくる。それだけならまだしも、空中ブランコの上の台まで登りはじめる。空中ブランコをやってみたいということだけしか伊良部のアタマにはなく、何の恐怖心もなく、飛び移ってしまう(ホントかよ・・・)。
そしてそして何を思ったか、伊良部はなんと本番のサーカスの舞台にまで登場することになる。
結局山下は極度のスランプに落ちているだけだったのだが、伊良部の演技を見て何か思うところがあったのか、スランプへの打開策の切っ掛けを掴んだようだ。
ちなみに、伊良部は例によって診療めいたことは全くしていない。(合掌・・・)

「ハリネズミ」
タイトルからして何の話しか推測し難かったのですが、尖端恐怖症の話し。尖っているものはみんな誰しも嫌いだと思うのですが、日々尖っているものを利用しなくてはいけない職業は世の中にたくさん存在します。たとえば、調理に携わる方々は常に包丁などを利用しますし、建築関連の方々は釘や錐などを用います。また、鍼灸師の方々は商売道具に針を使ったりします。伊良部医師の場合はあまり関係ないかもしれませんが、外科医師の場合は勿論メスが必要となります。こういった方々が商売道具が尖っているから「きゃー怖い」などとごちた日には商売上がったりです。
本書に登場する猪野誠司も尖ったものを必要とする職業です。猪野の職業は所謂ヤクザ屋さんです(うーむ、これは尖ったものが必要だ)。その猪野が尖端恐怖症と周囲に知れちゃうと、そりゃーもう大変である。ヤクザ屋さんの沽券に関わる重大問題である。
しかも、血判状などを押す際も自分で指を切り押さなきゃいけないわけだ。朱肉でペタッてわけにはいかない。
そんなわけで、いやだとは思いつつ山下はどうにかしなければという思いで(どう間違ったのか)伊良部総合病院に吸い込まれてしまう。
伊良部はヤクザだから怖いとかそういった気持ちは全くなく、「銃を撃たせてくれ」などとあらぬ方向のお願いをしたりと相変わらず、よくわからない言動・行動を取る。
その後、山下は吉安組との抗争が生じ、吉安との直接対決っぽくなる。
で、何故か伊良部もそこに同席している(なんでだ?)
直接対決の危機を山下はどう回避するか。そのとき伊良部は?
読後感は「あー、よかったね」といった清清しいものだった。

「義父のヅラ」
ヅラとはあれだ。鬘(カツラ)のことである(漢字で書くとこんな難しい字なのか・・・)。プチ整形などが市民権を得た今、ヅラはある意味化粧などのレベルにまで達しているのかもしれません。しかし、そこは実際にヅラをつけている人にしかわからない。会社などでも「あ、この人はもしかしたらヅラなのかも」と思う人もいるかも知れませんが、基本的に本人がカミングアウトしない限り口にしてはいけないという不文律とも言うべき社会のルールが存在する。でも、ヅラの可能性を秘めている人が非常に近しい人だとどーだろう? 更にその人が非常に権威のある人や自分に対して影響力を持っている人の場合、やっぱり確認したくなるものかもしれない。
池山達郎の場合、まさにその典型だった。池山は義父のがカツラではないかと疑問を持ちどーしても剥がしたくなる衝動を抑えられないようである。強迫神経症というらしいが、池山が言うには「学会で登場する際、欽ちゃん走りで走りたくなる」とか「非常ベルを押したくなる」とか破壊活動っぽい衝動に駆られることがしばしばあるようだ。
池山は実は伊良部と同じ大学の同級生であった。同窓会の席でバッタリ伊良部とあった池山はそれとなく自分に起きている不可思議な衝動についておそるおそる伊良部の見解を伺うが伊良部は「ビタミン不足だ」などと相も変わらずわけのわからない応対。
そこで行った伊良部の治療方法は「思い切ってやりたいことをやらせる」という一見、理に適った(?)方法だった。しかし、具体的な手法がいかん。
池山が「歩道橋に書いてある地名に一筆加えて遊んで見たくなる」といった破壊的活動を率先してやろうとする。ちょっと違うと全く違う意味になる言葉はたくさんある。金王神社の王が玉になると・・・とかそういった類のことを池山とホントに実践してみる。当然そういったいたずらをしちゃうと社会が許しておくはずもなく新聞などで「誰が一体やったのか?」などと取り上げられちゃう。
しかし、池山はそういった子供っぽい行動を実際に行い、伊良部と童心に返り盛り上がることによって性格面でも良い変化が生じる。
はたして、義父のカツラ問題に池山は言及できるのか?真面目に物事を考えていない(と思われる)伊良部に池山が感化されるプロセスそのものが治療だったりする。うーむ、不思議だ。

「ホットコーナー」
40代以上の年配の方々にとってはサードといえば長島なのか?野球ではサードの守備はホットコーナーと呼ばれる。直訳すると「熱い角」。なんのこっちゃ?と思うかもしれないが、サードには強い打球が転がる可能性が圧倒的に高い。世の中には右利きの人が多く、右打者が力強く引っ張って打つと必然的にサードに強い打球が飛ぶのだ。で、そこを華麗に捌き一塁へ矢のような送球をする。ショートと並んで守備の見せ場を作れる花形ポジションだ。
長年、東京カーディガンズのサードを守っていた坂東はある日突然、一塁への送球がまともにできなくなってしまう。こういった症状は実はイップスと呼ばれているようである。ゴルフでよく使われる言葉で手や手首の筋肉が無意識に収縮し、殆どパットができなくなるような症状である。精神的なものであるようだが、プロスポーツ選手にとってイップスになることは選手生命の危機に立たされることに他ならない。
悩んだ末に坂東はよりによって伊良部総合病院を訪れる。
伊良部は診療そっちのけで坂東とキャッチボールをしてみる。当然素人の伊良部はコントロールなどめちゃくちゃなのだがゴロを投げて無理な体勢からスローイングさせるとど真ん中のストライクを返球してしまう。ドカベンの岩鬼の守備バージョンのような体質なのか?
坂東の方は素人の伊良部がいともたやすく無理な送球体勢からストライクを投げることに疑問を感じますます送球というものがわからなくなり深みに嵌る。そこに追い討ちを掛けるように伊良部が「コントロールって何?」という根源的な疑問を投げかけてくる。
数学の証明問題では定義とか定理とか公理とかってものが存在し、命題論理学という学問も存在している。定義とはある事象(何でもいいのだが)を考察する際に言葉や記号の意味を規定することであり、定理とはその定義から論理的に導かれる事柄である。公理とは証明する必要のない、明らかに自明な法則である。なので、定義が覚束ないとその先の定理だとか公理とかも足元から崩れてしまうのである。
伊良部の掲げた疑問は坂東にとって自己の野球の定義を覆すような疑問だったに違いない。実際、その疑問を投げかけられることにより、自問自答しまくり、ますます深みに嵌っていく。更に追い討ちを掛けるが如く、伊良部の「バッティングとは?」とか「歩くってどういうこと?」などの素朴な疑問に悉(ことごと)く嵌ってしまう。
しかし、そのスランプ(?)の光明を見出したのもこの伊良部であった。この話しのラストも爽快な終わり方だった。いいじゃん、伊良部。

「女流作家」
女流作家の星山愛子の悩みは自己の小説がマンネリ化しているのではないかという強迫観念に掛かってしまう。よくよく考えれば、作家の方々は自分がどういったものを書いたかをキチンと覚えていて凄いと思う。しかし、この星山愛子のように30冊以上もの本を書き続けて同じような設定を避けて書かなくてはいけないというのは至難の業のような気がする。星山は出版社の担当や友人などに自分がどんな設定で今まで書いたかを聞きまくるのだ。(気持ちはわからなくもないが・・・)
そんな不安定な精神の中、精神安定剤を貰うために訪れてしまったのが伊良部総合病院だった。星山が作家と知ると伊良部は「自分も本を出版したい」と言い出す。ホント子供のような伊良部である。星山自身は薄々であるが精神的にまいっている原因はわかっているようだ。星山が以前書いた「あした」という渾身の一作がさっぱり売れなかったことにある。そこまで自身でわかっているのだが体がいうことをきかないような感じである。
その後、再度病院を訪問した星山を待っていたのは伊良部の書いた作品を渡されてしまうという自体だった。しかも看護婦のマユミちゃんのイラスト付き・・・ どーしてもこれを出版社に渡して欲しいとせがむ伊良部に一応原稿(のようなもの)を受け取る。
伊良部はもう有頂天になり、「何時出版されるのか?」と相変わらず童心である。
しかし、そんなに出版業界が甘い筈もなく出版社の担当は婉曲的にダメだしを伊良部にするのだがスーパーポジティブシンキングの伊良部に伝わるはずもなくますます創作活動にやる気を出してしまう。
そんななか、ちょっとしたいざこざが切っ掛けで星山はポジティブな気持ちを持てるようになる。(言っておきますが伊良部の治療のおかげではないですよ)
最後にポジティブさを取り戻す過程に花を添えるエピソードがマユミちゃんの一言だったりするのもよい。

総合的にみて、前作の「イン・ザ・プール」と共に本書を読んで思った伊良部の印象は、「こんな裏表のない人間がいると非常に世界がシンプルで平和になるのでは」と感じた。殺伐とした世の中に一石を投じる一冊だな。こりゃ。
りょーちも伊良部に診察して貰いたいかも。(どーゆー治療をされるのか・・・)
直木賞も受賞し、フジテレビでもドラマ化される(らしい)この奥田英朗の渾身の一作、奥田英朗は当分安泰、順風満帆だな。

最後に一言。
「つべこべ言わず、いいから読んでみて!」

※最近★×10連発しすぎか?
奥田英朗さん作品一覧

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2005年02月10日

雫井脩介:「犯人に告ぐ」 このエントリーをはてなブックマークに追加

犯人に告ぐ
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りょーち的おすすめ度:お薦め度お薦め度

雫井脩介ファンの方々は間違いなくお読みになっているかと思いますが、こないだ熱烈なファンになったにわかファンのりょーちは、つい最近この「犯人に告ぐ」を読み終えました。
もう、間違いなくイイ! 何がいいかっていうのは先ずストーリーがイイ!
ミステリー小説好きの方もそうでない方も是非お読みいただきたい。
巻島史彦は何かと叩かれがちな神奈川県警の特別捜査官である。ある日所轄内で起きた誘拐事件で巻島は犯人を取り逃がし誘拐された子供も殺害されてしまうという捜査ミスを犯す。狡猾な犯人にいいように振り回された挙句、目の前で重要参考人を取り逃がした巻島は記者会見でも落ち着きがない。それは、娘の子供が生死を彷徨う大手術の途中だったこともあるが、何にしろ、巻島の傍若無人なキャラクターのみがクローズアップされるような記者会見となってしまった。この事件を機に巻島は現場の第一線から退いてしまう。
その事件から数年後、新たなる連続誘拐殺人事件が県警内で起こる。県警本部長の曾根は、事件解明のためにある手段を思いつく。それは「劇場型捜査」というものだ。マスメディアを利用し、現場の警察官自らがテレビに出演し、事件解決の手がかりを広く市民から得るという捜査方法である。その劇場型捜査を実現するために、曾根が白羽の矢を立てたのが6年前の事件で県警のブランドを失墜させた巻島だった。
もう、ここまで読んで「ホントにこりゃ面白いぞ。凄いぞ。お姉さん、ラーメンおかわり!」的な感じを受けた。やるねー、脩介。(←勝手に呼び捨て。すまん・・・)
そして「バッドマン」と名乗る犯人と巻島との戦いが始まる。
マスコミの協力を仰ぐために巻島はミヤコテレビの「ニュースナイトアイズ」に現役の捜査官としてテレビ出演をはじめる。メインキャスターの韮沢と元警察官の迫田、犯人のバッドマンから脅迫状が届いた女性キャスター。彼ら4人の討論形式で犯罪分析などを行うこの企画に視聴者の関心も非常に高まり、視聴率も急上昇。市民からの目撃情報も急速且つ膨大に集まり始める。
このような動きの中、りょーちはどーしても許せない人を発見。
それは、植草という超ダメ人間。学生時代に恋していた杉村未央子という女性に今も未練を抱いている植草は警察官として信じられない行動を取る。未央子は第一テレビの看板ニュース番組の「ニュースライブ」に女性キャスターとして出演している。
その未央子にあろうことか、捜査状況をリークし、捜査を撹乱させるような行動を次々と取り始める。こういうのを日本語で「獅子身中の虫」とか言うのか?
後半に来ると「もうこのキャラ、なんなの?」ってくらい人格破綻者然としてエリートなのかも知れないがアタマの悪さを露呈するダメ人間植草。植草のその後のストーリーは彼にはお似合いの結末が待っている。
この後のストーリーは、もうあとは読んでくださいって感じですよ。ホント。
(乱暴に言っちゃうと「いいから、読め!」って感じだな)。
普段生活していると、「警察官の人」とか「お巡りさん」っていう一括りで見ちゃいますけど本書はキャラクターが非常に生き生きと立ち回っている。
また、ミステリーに肝心の謎解きの部分も派手さはないが、キチンとした布石が打たれていて事件解決に至る。ただ、この小説は事件が解決したら「ハイ終わり」というものではなく「各キャラクターのその後はどうなったんだろう?」と思わせるようなある種の余韻を残していく。
巻島に至っては、アウトロー的な生き方および風貌という印象が強い。しかし、彼をそう変えていったのは昔の事件のトラウマだったり、家族内の絆だったり、自己欺瞞に満ちた警察官僚との軋轢だったりする。
そうやって、人はどんどん何かに影響を受けて自分自身も変わっていき、自分の行動により、他人を変えていく。冷静に考えるとすごいことですな。そういうふうに思う切っ掛けを作ってくれたよい小説だな。
そして雫井脩介、恐るべしである(一生とは言いませんが、暫くついて行きます)。雫井脩介さんの次回作に期待度が高まりますね。「犯人に告ぐ」映画化希望に一票っす。ファン一同期待に胸を躍らせておりますので、雫井脩介さん、ひとつよろしくお願いいたします。

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2005年02月07日

伊坂幸太郎:「陽気なギャングが地球を回す」 このエントリーをはてなブックマークに追加

陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)
伊坂 幸太郎
祥伝社
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りょーち的おすすめ度:お薦め度

もう、こいつらで好きなように回してくれ。いや、こいつらなら地球を逆回転できる。海老一染之助の傘の上でも回るかも。
こいつらとは本書「陽気なギャングが地球を回す」にご出演の面々である。
本書に出てくるギャング達はそれぞれ特技があり、

・人の嘘を完璧に見抜く能力を持つ成瀬(役所勤務)
・薀蓄と嘘つきに掛けては天下一品の響野
・数秒も狂わない正確な体内時計を持つ紅一点の雪子
・スリの名人である久遠

というメンバーがあろうことかタッグを組み、銀行強盗をやっちゃおうじゃんって言うストーリーである。
各場面場面で彼らの特技が功を奏し、銀行強盗は一人の血を見ることもなくクールに遂行されるのである。ギャングでもスポーツでも重要なのはチームワークだが、このチームワークが破綻したときにはよい結果は生まれないのだ。一見完璧なチームワークだったこのカルテット達に亀裂が入るとき、計画はやっぱり失敗しちゃうのだ。
計画は一見成功したかに見えたのだが、逃走中に成瀬たちの掻っ攫った戦利品(売り上げ?)を別の銀行強盗がやってきて、横取りされちゃうのだ。
しかし、この小説、こっからが面白い。取られた売り上げ(って元々人のモノだが)を奪還すべく成瀬達が東奔西走したり、犯人(って成瀬たちもある意味犯人なのだが・・・)を調査し、追い詰めるプロセスなど見所満載である。
この物語に出てくる人々が実にキャラが濃い。サブキャラとして出てくる役に立たない画期的な発明品を保有する田中。田中の発明品にはフラッシュレスカメラだとかグルーシェニカー(中から開かない車)だとか「あんたそれ何に使うの?」的な奇妙な発明品がある。
響野が銀行強盗をする際に行員達に語る妙な薀蓄も思わず傾聴してしまうような(しかし、中身はどうでもいいような)内容だ。雪子に関しては元ダメ夫の出現でかなりヘビーな役回りを強いられることになる。このあたりも非常に読みどころかも。

エンディングも気持ちのよい終わり方でスッキリである。このメンバーの続編(あるのか?)も書いていただきたいです(→伊坂さん)。風のうわさで映画化されるって話しも聞きましたが、是非やっちゃっていただきたい。

りょーちとしては、この4人の掛け合い漫才的なトークが非常に楽しく(半ば出来すぎの感も否めないが)さすが伊坂幸太郎と唸ってしまった。21世紀を代表する作家になるかもしれませんね。

「ギャング」ってもう死語かと思ったけど、意外とすんなり頭に入ってきた。りょーちが「ギャング」という言葉を聞いて真っ先に思い浮かんだものは「ドリフ」だったのは幼少の頃の8時だよ全員集合のギャングコントに起因しているのではなかろうか(謎)

※そして更に、映画化された勢いもそのままに、続編の 陽気なギャングの日常と襲撃 も出版された!

うーむ、こちらもなかなか楽しみ!

陽気なギャングの日常と襲撃
伊坂 幸太郎
祥伝社 (2006/05)




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2005年01月31日

平山瑞穂:「ラス・マンチャス通信」 このエントリーをはてなブックマークに追加

ラス・マンチャス通信
平山 瑞穂
新潮社
売り上げランキング: 111723
おすすめ度の平均: 4.5
4 不条理な世界へ迷い込みたいときにお勧め
2 そんなにいいか?
1 なんじゃこりゃあ?
5 3月で絶版・文庫化未定!!
5 呪われた世界の呪われた家族

りょーち的おすすめ度:お薦め度

装丁買いだったのだが結構面白かった。
あ、でもこの本の全ての意味が分かって「あー、面白い小説だった」ってことではないっす。面白かったのは「こんな奇妙な話しを書くひとがいるんだー。この人の頭の中はどーなってるんだろー」という意味での面白さだった。
装丁は「上田早夕里:火星ダーク・バラード」の田中達之氏によるイラスト。これがインパクト大だった。更に「 第16回日本ファンタジーノベル大賞大賞受賞作 」という宣伝文句に目がとまったので、「あー、もうこれは買っちゃうんだろーなー」と思いながら本屋を一周して本屋から出たらやっぱり買っていた(^^; (まあ、いいのだが・・・)

で、読んで見たらやっぱり装丁どおりのおどろおどろしさが展開されていた。この奇妙な世界観はなんなのだろう? 
ホラーなのかなんなのかジャンルも曖昧な感じであり、H.P.ラヴクラフトのクトゥルー神話のような「なんだこりゃ」感に、 H.R.ギーガ(H.R. Giger) のよーな「奇妙奇天烈感」をミキサーで引っ掻き回したような印象の小説だな、こりゃ。

ここで「ラス・マンチャス」は「ラ・マンチャ」の複数形で云々というよーな解説を述べてもしょーがない。
ストーリーもあるようでない。(いや、ないようであるのか?)
・畳の兄
・混血劇場
・次の奴が棲む町
・鬼たちの黄昏
・無毛の覇者
の5章からなるこの小説。
主人公の「僕」は5人家族で、父と母と姉と僕と「アレ」と一緒に住んでいた。「アレ」とはこの家族では「いないもの」として扱わなければならない。「アレ」のやることはいつも滅茶苦茶で、ある日姉と留守番していたときにうっかり「アレ」を殺してしまう。姉と一緒に裏の森へ「アレ」を捨てに行く。戻ってきた家族は「アレ」の存在を忘れてしまったかのように振舞うが「僕」は施設へと収容されることになった。
施設の中での生活は窮屈なもので、女の子とも出会えない。それなりに「良い子」にしていた「僕」はその後施設を出てレストランで働くことになるが、レストランの中でのいじめ(のようなもの)のため、ここも退職。
ほんで、どうも怪しい灰の降る町へ行き、「ゴッチャリ」と呼ばれるかくも怪しい灰を除去するお仕事をイナガワさんと始める。灰の降る町には人をも喰ってしまうよーな「次の奴」と呼ばれる巨大な蜘蛛がいたりする。住人達はみんな「僕」には無関心であるが、ひょんなことからこの町で一番綺麗な女の子の由紀子とイナガワさんとの共同生活が始まったりする。
更に、イナガワさんの始める新しい仕事でセールスをすることになった「僕」はひょんなことから別れた姉と遭遇する。しかし、姉はいとも恐ろしいモノと結婚していたよーである。更に姉や謎の画家「小嶋さん」などがまたもや登場し、物語はクライマックスへと向う。
ってストーリー話してもしょうがないんだけど。というのはこの物語はストーリー重視ではないような気がしている。「こうしてこうしてこうなってその結果こうなった」的な物語ではない。
非常に難解で、りょーちはおそらく作者の意図するところの47分の1も(中途半端だが)理解できなかった。でも、ちょっとヘンな世界観を覗くことができた気がする。
あれだ。中井英夫の「虚無への供物」や竹本健治の「匣の中の失楽」とか夢野久作の「ドグラ・マグラ」とかそういった本を読んで「うーむ、よくわからんかったが、凄い」って印象に非常に近いと思う。(でも、ちょっとディープなので一般ウケはしないかも)
そういう意味ではラストはぐちゃぐちゃのままで終わっても良かったよーな気がする(ダメ?)。

もしこれが漫画の原作になるのであれば、作者は諸星大二郎か梅図かずおか大友克洋あたりにお願いしたい(無理?)。

平山瑞穂さんは1968年生まれの立教大学卒業の女性の方らしいが男性の方、最近1968年生まれの作家の方が結構頑張っているよーな気がする。
■1968年生まれの作家さん年代が近いので、ぜひとも頑張ってほしいところです。
ってことで、平山瑞穂さんは次回作をぜひとも読んで見たい作家の一人としてりょーちの中にインプットされちゃいました。次回作にも期待大です。
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2005年01月28日

奥田英朗:「イン・ザ・プール」 このエントリーをはてなブックマークに追加

イン・ザ・プール
イン・ザ・プール
posted with amazlet on 06.02.17
奥田 英朗
文藝春秋 (2002/05)
売り上げランキング: 982
おすすめ度の平均: 4.59
4 キャラクタが最高
3 面白い
4 中身も。

りょーち的おすすめ度:お薦め度お薦め度

まったくもってデタラメな医者の話しである。でも、最高に面白い。

「ウランバーナの森」ではちょいと気を削がれてしまったのだが、落胆することなく世評の高い「イン・ザ・プール」に挑戦。
奥田英朗、やはり只者ではなかったよ。

この小説、めちゃくちゃ面白いっす。電車の中で読むと作中の描写に思わず笑い出して鉄道警察官に連行される恐れがあるのでご注意。
物語は伊良部総合病院の精神科の伊良部が巻き起こすハチャメチャな診療の話し。心療ポリシーは特になさそうで、何らかの心の病を抱えた患者が吸い込まれるように伊良部総合病院へ足を運ぶ。総合病院なので内科や外科の医師や看護婦などもいるのだが、精神科へむかう患者に対してどこか憐憫の念を抱いているよーな怪しい雰囲気。
精神科の医師である伊良部一郎はこの伊良部総合病院の跡取り息子。マザコンで趣味といえば茶髪の看護婦マユミが患者に注射するところを見ること。これを見たいために来院する患者には先ず症状も聞かずにマユミにとりあえず注射を打たせようとする(そんなアホな・・・)。その様は、飲み屋に入って「とりあえずビール」という中年サラリーマンにも似た行為だ。

憑き物落としとは京極夏彦の京極堂シリーズにも似た感じ。憑き物落としのプロセスと落とすキャラは違うのだが・・・

「イン・ザ・プール」
健康のために水泳をはじめたという軽い動機から水泳がやめられなくなる。目的と手段が入れ替わるいい例(?)であろう。相談者の大森和雄はよせばいいのに伊良部総合病院の扉を叩く。カルテを見て伊良部はつまらなそうに「不定愁訴か、つまらん」と切り捨てる。病気に面白いも面白くないもないのだが。大森の話しを聞き、伊良部自身もプールに通うようになる。伊良部も泳ぐことが楽しくなり一見ミイラ取りがミイラになるよーな予感なのだが、後から出来たミイラ(=伊良部)の出来栄えを元からいたミイラ(=和雄)が客観的にみてみることにより、自身を客観的に観察したのか症状が回復する(うーむ)。

「勃ちっぱなし」
文字通り「勃ちっぱなし」になったサラリーマン田口が伊良部総合病院を訪問。陰茎強直症(ホントにあるらしい)になってしまった田口を気の毒にも思わず、「常時臨戦態勢なんだって?」と真顔でボケる。この「勃ちっぱなし」にはもう一人伊良部の別れた妻も出てくるがホントに諍いのレベルが幼稚園児の喧嘩並みの低レベル。
田口にも別れた妻がいるのだが、未練を抱きつつも不安定な心情であり、病気の所為もあり、仕事でもストレスを抱える。
しかし、ここでも的外れな伊良部の行動により症状は回復する。

「コンパニオン」
コンパニオンの広美がストーカーに追われているという強迫観念にとらわれる。伊良部は治療そっちのけで、映画のオーディションまで受け、オーディション会場でも一騒動おこしちゃう。その理屈ももうめちゃくちゃなんだけど・・・
最終的に広美はコンパニオンの仕事を辞めてしまうが強迫観念の症状は回復する。

「フレンズ」
高校生の津田雄太は携帯依存症でメールがこないと不安になってしまう。一日に200通もメールを打っていることは異常なんじゃないかと思うが最近は当たり前とまでは言わないが「そういうひとも確かにいる」ようである。携帯電話を持っていなかった伊良部は実際に買ってみる。メールを送る相手のいない伊良部は雄太にメールを送るようになる。が、ホントにつまんないことでメールを送りはじめる。伊良部が携帯依存症になったんじゃないかとも思うほどである。
教訓:人の振り見て我が振り直せ。

「いてもたっても」
岩村義雄は自宅を出るとき、タバコの火を消したかどーか不安になって家を出ることができない。またそれ以外の小さなこともいちいち気になって仕事も手につかない状態。医学的には「確認行為の習慣化」というようであるが、これはりょーちも経験ありっす。りょーちの場合はタバコではなく鍵をかけたかどーか何回も気になる。
例によって吸い込まれるように伊良部総合病院にやってきたた岩村を迎える伊良部はまたもや医者として(というより人間として)理解不能の奇妙な行動をとっていく。

兎に角、今悩みを抱えていて精神科にいこうかなと考えている人にもお薦め。悩んでいることがバカらしくなる。こういう先生がホントにいて「朝まで生テレビ」とかに出たりすると非常に面白いと思う。

ノリ的には井上夢人の「風が吹いたら桶屋がもうかる」のノリなのかなー。続編の「空中ブランコ」も買っちゃったし、もう楽しみである。

りょーちはこの本を読んでいて伊良部の風貌を何故かカンニングの竹山のような顔と想像しながら読んでしまっていた。(うーむ、今度フロイトかぶれの知人に夢分析でもして貰うか・・・)
奥田英朗さんはかなり幅広い引き出しを持っているねー。

そーいえば、この本、2002年5月15日が第一刷のよーでかなり前に出版されたよーであるが、本の帯が2つ重ねられていて、下側の帯には「祝・直木賞」と銘打って、空中ブランコが直木賞を受賞したことを讃えていて、上側の帯には「イン・ザ・プール 映画化」と書かれていた。で、伊良部役はアノ、松尾スズキで、看護婦役が市川実和子と結構ピッタリのキャスティングのよーである。松尾スズキを持ってくるところにちょっと冒険というかある意味、やる気・意気込みのよーなものを感じた。
これはカナリ面白そーである。小説も最高だったが、映画もかなり期待できそう。
奥田英朗さん作品一覧

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2005年01月24日

沙藤一樹:「プルトニウムと半月」 このエントリーをはてなブックマークに追加

プルトニウムと半月 (角川ホラー文庫)
沙藤 一樹
角川書店
売り上げランキング: 505197


りょーち的おすすめ度:お薦め度

小説の作法としていろいろな手法が勿論あるのだろう。本書、「プルトニウムと半月」では主人公の和也と双子の姉妹の華織と沙織の関係は果たして序盤では隠しておかなければいけないことだったのか? どーも作者の狙いがいまひとつよくわからなかった。話がかなり前後して、現在の状況、過去の状況が交互に出てきたりするのであるが、正直効果的だったかといわれるとちょっと違うよーな気がする。
内容は、原子力発電所の事故により、発電所周辺が危険区域として外界から隔絶される。海から同心円状に区切られたその形から、いつしか「ハーフムーン」と呼ばれるようになる。華織と沙織の両親はその事故が起きた原子力発電所に勤務していたが、事後処理などで事故後は家に連絡することも出来ず、華織と沙織は隣人より事故があったことを聞く。更に華織と沙織は被爆し喉を痛めてしまう。彼女達の喉には半月型の手術痕が残ってしまった。
事故後ハーフムーンは自殺の名所とされ、従前より住んでいた数名の住民や、外の世界に嫌気がさした人々のみが住むこととなる。ハーフムーンの住人達は小さなコミュニティを形成し、外敵から自分達を守るために武装する。
とりわけ、住人の中の須藤真里は異質である。常にライフルを傍らに携えて行動する。須藤真里は実の弟妹の祐子と成二にはあまりよい感情を持っていない。また祐子と成二も真里への不信感を徐々に募らせていく。危険地帯の中で人間関係も危うい中、仲間のアッキが徒党を組んでハーフムーンを襲うレッドデットというグループに殺害される。
一方、須藤真里らとハーフムーン内で行動を共にすることとなった、和也は以前に人を殺したというトラウマに支配され、レッドデットたちへの報復も今ひとつ気が進まなかった。アッキを殺したレッドデットたちを許すことは出来ないが、殺人もしたくないという思いの狭間で和也は苦悩する。

で、本書の早い段階で説明があるのだけど、この和也が華織なわけだ。華織はハーフムーンの中では男として活動している。それは、前述の殺人が原因のひとつだったりする。
和也は性(女性)を捨て名前(華織)も捨て、ハーフムーンで生きていく。
更に、外の世界から塔志という少年がやってくる。ハーフムーンの中で生きていくだけの生活力もない塔志に、和也は以前の自分をオーバーラップさせながらも生きていくための知恵やルールを教えていく。
また、自殺の名所として知られるハーフムーンに一家心中にやってきた夫婦と赤ん坊をみつけた和也は赤ん坊だけ引き取る。赤ん坊は咲子といい、咲子は和也や真里たちと一緒に暮らし始める。咲子は言うなれば、ハーフムーンの中の倫理に近いものがあったと思う。純粋に育つ咲子は彼ら少年少女の中で育っていくが、その咲子までもレッドデットたちに襲われた際に命を奪われてしまう。咲子の死を見届けていた塔志から一部始終を聞いた和也はハーフムーンを去っていく。

うーむ。世界観には共感できるものがあるのだが、先にも述べた全体の構成はこういった感じでないほうが読みやすいと感じた。勿論意図的に行っているんだろうけど、肝心の世界観に浸る前に躊躇してしまうんだなー。どーも、そこが最後まで気になった。
また、ラストも救いようのない終わり方だけに「何を一番訴えたかったのか」今ひとつ(頭のよくないりょーちには)見えてこなかった。

でも、登場人物のキャラクター設定はなかなかよかった。キャラに強さと個性があるので、この作者の本をまた読んでもいいような気がしてきた。
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