りょーち的おすすめ度:

うーむ。何故あまり心に響かなかったのか・・・
貫井徳郎さんの小説はかなり気に入っているのだが、今回りょーちが今ひとつ入り込めなかったのは主人公にあると思う。片田舎にある教会の牧師の息子、早乙女輝の成長とともに物語りは推移していく。少年期、青年期、壮年期ってとこなのか?
本書の中心にはキリスト教が座している。キリスト教はりょーち、あまり詳しくないし(無神論者ってわけでもないのだが・・・)宗教はよくわからん。キリスト教には「汝の敵を愛せよ」とか「右の頬を打たれたら左の頬をだしてくんなまし」とかよくわからないことが多い。輝は牧師の家に生まれたため好む好まざるにかかわらず生活の中に宗教が同居している。こういった世界観にどっぷり浸れる人はよいのかも知れないが、ちょっと引いてしまった。
また、もう言ってしまうが、これは「叙述トリック」なのだ(あ、言っちゃった)。本書を読んでいない人でgoogleなどでたまたまこのページに来たあなたに・・・・ ごめんなさい。
「葉桜の季節に君を想うということ」の方がまだよかった。
今回の叙述トリックはトリックではなく、小説として(無理やり)話をややこしく書いているような印象を持った。
それでも最後まで読めたのは貫井徳郎氏のストーリーテリングの(先天的な)上手さによるものだと想う。同じ物語を別の力のない作家の方が書いたとすると、これはもう「廊下に立っていなさい」状態かと思う。
なので、普通の小説として読めばそれなりに読める小説と思う。「推理小説」としてトリックや犯人探しというものを期待して読んだ場合には覚悟してほしい。
ただ、「この作品は失敗か?」といわれると違うと思う。全編で人と神の関係を問題定義している。神とは人に必要なものなのか? 救われるとはどういうことなのか? この答えは勿論人それぞれなので解答が提示されているわけではないが、神について考えるきっかけにはなると思う。
読後感も正直あまりすっきりしなかったのは、「神」がテーマになっているため全体的に重苦しさを引きずってるからなのかも知れない。
#ちょっと今回は厳しいか?(すまん・・・)
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