りょーち的おすすめ度:

単行本の紹介文引用:
南シナ海の烈風。眼窩で砕ける三角波。激しい時化に呻く25万トンの巨大タンカーの中で、村上の友人、崔は死んだ。仕事中の事故とはいえ、崔を死に至らしめた原因は、日本刀を片手に彼らを監督する徳山の執拗ないたぶりにあった。徳山は同性愛者であった。そして村上を愛していた。村上と親しかった崔の死こそ徳山の嫉妬であり、彼独自の愛の形であった。
横浜・寿町を舞台に、錆び付いたギタリスト村上とエキセントリックな歌姫(ヴォーカル)綾、そしてホモのヤクザ徳山が奏でる哀しい旋律。芥川賞作家が描く、濃密で過剰な物語
いろいろ考えさせられたよ。この本。花村萬月という作者はすごい。
ブルースではこうやってのほほんとWebでBlogを見ていそうな人間は出てこない。
この本の中心人物は「綾」という横浜のライブハウスで歌うハーフの美少女と、人生に挫折した元一流ギタリストの「村上」、ヤクザだがホモである非常に暴力的な「徳山」。
徳山は村上を愛し、綾は村上を必要としている。村上は終始頑なな態度を崩さない。
登場人物すべてに悲哀・やるせなさを感じる。しかしすべてが絶望的ではない。少なくともこの中の2名は次への第一歩を踏み出したのであろう。
花村萬月描く「暴力」には「愛のある暴力」が多い。ただ、作中の登場人物は(特に徳山は)暴力を振るうことが目的ではなく代償行為なのだ。何の代償行為かと言えばそれは「愛」に他ならない。人は誰かを愛したいし愛されたい。
愛するには誰か「相手」が必要だ。「相手」が自分と同じだけの大きさで「愛」を与えてくれ、自分の「愛」を受け入れてくれれば世の中は上手くいくのだろうが、現実としてそんな平等な愛は存在しない。
人は自分と他人の間に何らかの関係を築き、そのバランスを維持するために会話したり、ふざけ合ったり、時には憎みあったりして、バランスを保持している。
そのバランスが崩壊した際に悲劇は起きる。自分だけの問題でそれが生じることもあれば、自分ではどうすることもできない外的要因によりバランスが崩されることもある。
そこでどう、このバランスを維持するかは個々のポテンシャルによって異なり、維持する方法(手段)も異なる。
綾の場合それが音楽(ブルース)であり、徳山にとってはそれは暴力だった。
村上はその手法さえも見失った状態であった。綾も徳山もそれぞれの方法で愛する村上にそれを気づかせようとする。
三人のステージは花村萬月という最高の指揮者を得て、哀しい音色を奏でる・・・
花村萬月を読んでいない方には是非すすめたい。
ちなみに、二進法の犬も超おすすめ。こんどレビューしちゃうばい。
■他の方の感想:
・花村萬月「ブルース」本の虫/ウェブリブログ
コメントいただきましてありがとうございます。
ジャスリンさんのご指摘された「暴力がセックスと同じみたいな感覚」という表現は秀逸ですね。まさに花村萬月の世界を一言で言い当てているような印象を受けました。
ジャスリンさんのblogを拝見させていただきました。
なんだか、このブルースの綾に感情移入できそうな職業(?)なんですねー。(花村萬月の「ゲルマニウムの夜」の朧とも被る部分もありそう?)
音楽活動、是非頑張ってくださいね。
ではでは。