2006年11月27日

中井英夫:「虚無への供物」 このエントリーをはてなブックマークに追加

虚無への供物〈上〉
虚無への供物〈上〉
posted with amazlet on 06.11.27
中井 英夫
講談社
売り上げランキング: 73741
虚無への供物〈下〉
虚無への供物〈下〉
posted with amazlet on 06.11.27
中井 英夫
講談社
売り上げランキング: 74776

りょーち的おすすめ度:お薦め度

こんにちは、千葉すずです(嘘です)。

無理。難解。

もう5回以上(10回未満)この「虚無への供物」を読んだけど、感想と呼べるものをりょーちは書ききることができないっす・・・orz

虚無への供物はアンチミステリとしての呼び名が高く、Wikipedia によると、小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」、夢野久作「ドグラ・マグラ」とともに日本探偵小説史上の三大奇書と並び称される。(竹本健二の「匣の中の失楽」と合わせて四大奇書といわれることもある)。

黒死館殺人事件とドグラ・マグラについては、その文章そのものが難解であることも挙げられるが、それに比べると、「虚無への供物」は読みやすいと思われる。
「虚無への供物」が出版されたのが、1964年である。「ドグラ・マグラ」と「黒死館殺人事件」が1935年に刊行されたことを考えると、年代的にはかなり後になる。
しかし、今もこの「虚無への供物」が上記2作品と比類されるのは、何故だろうか?

虚無への供物のストーリーはこうである。
光田亜利夫と奈々村久生は幼馴染である。奈々村久生は奈々緋沙緒という名前で売り出し中の駆け出しのシャンソン歌手。亜利夫はアラビクというゲイバーのアイちゃんが奈々緋沙緒のファンであるという情報を知り、久生を連れ出してアラビクへと出かける。おてんばの久生では自分でも推理小説を書きたいと思うほどのミステリ小説好きである。そんな久生ももうすぐ現在パリに赴任している新聞記者の牟礼田俊夫と結婚予定である。
アイちゃんこと氷沼藍司は氷沼家で起こっている忌まわしい呪いのようなものに頭を悩ましていた。氷沼家では、昭和の初めより、祖父の光太郎をはじめ、長女の朱美が広島で爆死、洞爺丸の事故で長男の紫司郎、三男の菫三郎が水死している。
現在氷沼家には、当主の氷沼蒼司、弟の氷沼紅司、従弟の氷沼藍司、同居人の伯父橙二郎が残るのみである。当主の氷沼蒼司と亜利夫は、学年は異なるが、同じ高校の出身である。
亜利夫は氷沼家に足を運び、氷沼家に纏わる話しを蒼司から聞き、久生にその一部始終を聞かせるが、久生はまだ犯罪の行われていない犯人を探し当てるとなんとも奇妙なことを言う。しかし、久生の予感は当たった。それから程なくして、氷沼紅司が氷沼家の風呂場で死体となって発見される。風呂場は内側から鍵が掛けられており、誰一人入ることのできない密室となっていた。
この事件を巡り、誰が紅司を殺害した犯人なのかという犯人探しが本格的に始まる。名乗り出た自称探偵は、久生と亜利夫、そして当日新潟から上京していた、藤木田老。そしてアラビクで会ったアイちゃんこと氷沼藍司である。
藤木田老は久生よりも更にミステリー好きであり、今まで出版されたミステリー小説に登場するトリックなどは使えない、更に、ヴァン・ダインやノックスなどのミステリー作法に背くものは取り入れられないなどと思考の幅を狭めさせながらも、四人の推理合戦が繰り広げられていく。しかし、彼らの推理が全く見当違いであることを犯人はあざ笑うかのように、第二、第三の殺人事件が繰り広げられる。
二番目の犠牲者である、橙二郎の死因はガスによる中毒死だった。亜利夫たちは橙二郎が犯人であると推理した、藤木田老の提案により、この日は氷沼家で麻雀をしていた。そこでの惨劇であり、しかもガスのメーターコックに触ったのは、この中では亜利夫だけであった。

そして更に第三、第四の殺人が繰り広げられていく・・・

果たして犯人は誰なのか? 犯人の動機は何なのか?

かなり難解である。この紹介文だけでもまだ前半の触り部分にしか言及できていないのだが、何がこの物語を難解にしているのかというと、ひとつは「登場人物の多さ」であり、もうひとつは「本筋の殺人事件の周りに蠢く怪しげで難解な伏線」である。この伏線が事件に直接関係するものかどうか、読んでいる最中は全くといっていいほどわかんなかった。この本を最も楽しめる人は、当時と同じ時代を生きた人たちではないかと思う。更に東京に住んでいる人なら土地勘などが情景に浮かびやすいため、更に楽しめると思う。
ミステリ小説において時代背景は非常に重要である。名作と呼ばれる幾つかの推理小説でも現代のように携帯電話やメールなどが普及している時代では決してなし得なかったトリックが使われたりする。
近年、推理小説はこういった世の中の進歩と共に純粋なミステリーとは乖離し、SF小説や科学小説に近い全く別のジャンルを生み出しているようにも感じる。

なお、この推理小説(アンチミステリーだけど)の犯人探し、動機解明において、合理的に説明するのはりょーちの頭では無理でした・・・orz

本書「虚無への供物」も今世紀では登場し得なかった一作である。そして、この何度読んでも難解で理解が及びづらい小説が何故この現代でも愛読されているのか。それは昭和の古き良き日を懐かしむ懐古主義的な人が多いことがあげられるのではないであろうか。

きっと、今後もこの「虚無への供物」を何度も読むと思うのだが、単にミステリー小説という枠組みではなく、俗人的な昭和初期の独特の世界観を堪能することもできる良作である。
posted by りょーち | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書感想文
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: