会議の趣旨がブレーンストーミングなどの場合は、人の意見を否定せず、一応すべて議論の遡上にのせてみて、後から再度考えたりするっぽい。
で、次に出てきた意見を吟味しましょうというフェーズになってくる。
そのとき、どうも出てきた案があまりよいと思えないとき「その案はよくないんでないの?」と反対意見を述べてみたりする。出てきた案すべてがあまりよくなかったりする場合には何も残らないという結果になることもありえるが、意見として述べてみたりする。
で、ホントに何も残らなかったら、誰かが「反対意見だけでなく、何か案を出せよ」などと言うことがある。
で、まあ尤もな案があれば勿論「こういうのはどう?」などと提案できるのだが、それもない時がある。その場合「こいつは、否定ばかりして何も案を出さないクズの人」という風な空気になってしまう。(まあ、ホントにクズかも知れんが・・・)
どうも、この風潮はあまりよくないなーと以前から感じている。
ずっともやもやしているときに、大阪教育基本条例はアメリカで破たんした落ちこぼれゼロ法とそっくりと指摘した報道番組VOICEに逆上する橋下氏 | Afternoon Cafe経由で以下のサイトを知った。
上記サイトを読むと
対案というのは、反対する側の戦略です。と素敵にまとめられている。
使ってもいいですが、使う必要はありません。
ましてや「反対するなら対案を出せ」なんてのは、まあ控えめに言っても恫喝ですわな。
「何も意見がないのはダメよ」もよくないのは分かるのですが反対意見に対して「じゃあ変わりに何かあるの?」だけの反論では弱いよーに思ったりするばい。
いろいろ難しいのぅ・・・
具体的な問題点があるのに誰も具体的な修正が
出来ないなら、そもそも手を引いたほうがいい。
>具体的な問題点があるのに誰も具体的な修正が
>出来ないなら、そもそも手を引いたほうがいい。
なるほど。
具体的な問題点がよくわからなくて「もやもやしているんだけどなんとなくやめたほうがいいんじゃないかなー」という時もよくあるのですが、まあ、先ず問題点を探すべきなんですかねぇ。
うーむ、難しいのぅ・・・