りょーち的おすすめ度:

こんにちは、草笛光子です(嘘です)。
気持ち悪い本を読んでしまった(といってもある特定の病状の方に対しての偏見は含まれていないことをご理解ください)。
最近、医学界の方々が執筆される小説には目を見張るものが多い。古くは北杜夫の「どくとるマンボウシリーズ」に始まるこの「医師→小説家」の流れが止まらない。
ざっと挙げてみても、「帚木蓬生」「米山公啓」「海堂尊」など枚挙に暇がない。あの手塚治虫も医学部出身だったよーな気がする。
医療を目指す人々はやはり柔軟な頭の構造をしているのか執筆された小説も結構素晴らしいものが多い。本書「無痛」の久坂部羊さんもその一人。「医師ならではの医療分野に関する詳細な記述はお手のもの」というように専門用語が頻出するが、読者にそれほどの知識がなくともスイスイ読めてしまう。
本書「無痛」には二人の医師が登場する。一人はあまり設備なども整っていない所謂「町医者」と呼ばれる小さな診療所に勤める為頼と、白神メディカルセンターの院長、白神。二人は全く異なる医療環境下にありながら共通の特技がある。それは「患者を(見た)診ただけで患者のどこが悪いか、そしてその病気は治るのか」ということが分かるのだ。もし、こんな能力のある先生がいればさぞ便利だろうと思ったが、読み進んでいくうちにその考えは一変するであろう。
為頼はタクシーで財布を拾ってくれた高島菜見子と偶然知り合いになる。菜見子にお礼を告げていたそのとき、為頼は不審な人物を目にし、菜見子を安全な場所へと避難させる。直後に通りの状況は一変した。不審な男は通り魔的に周囲の人間に刃物を向けて襲い掛かってきたのである。幸いにして為頼と菜見子は無事であった。菜見子は何故為頼が不審な人物を見分けることができたのか不思議に思っていた。
その後、菜見子が為頼の診療所にお礼のため訪れた際、菜見子は診療所の看護士のカツより奇妙なことを聞く。為頼は見ただけで患者のどこが悪いかが分かるらしい。実際先日の通り魔事件の件もあり、菜見子は為頼にある相談を持ちかけることにした。
ある相談とは、神戸市で起きた一家四人残虐殺害事件である。現場に警察も目を背けたくなるようなこれ以上ありえないほど凄惨な事件現場。人間がこれほどまでに人間を破壊するのであろうかと思えるほどの異常な事件現場だが、未だ犯人の目星はたっていない。
解決の糸口は全く見えていないこの事件に自分が犯人であると名乗る人物がいるという。それは、菜見子が勤める六甲サナトリウムにいる14歳の少女であった。神戸市の事件は自分が犯人であると言っているらしい。
話しを聞いた為頼は数日後、六甲サナトリウムに足を運ぶ。14歳の少女の名前はサトミという。サトミは他の人と会話をすることがなく、唯一、菜見子だけとはメールでコミュニケーションを取れている。菜見子にあてたメールによると、犯人は自分であると言っている。しかし、為頼は菜見子と実際に会い「人を殺める狂気」がサトミにないことに気づく。
一方、白神メディカルセンターの院長、白神は白神メディカルセンターの傘下に入れるべき、地域の診療所をピックアップしていた。彼の自論は病院は通常の保険制度を越えたサービスが必要であるということだった。白神の目に適った病院には為頼の診療所も挙げられていた。白神が為頼の診療所をネットワークに入れようとした理由は為頼が白神メディカルセンターに送りつけた患者のリストだった。為頼が送ってきた患者は期間の差こそあれ、全員が死亡している。つまり、直る見込みのない患者を送ってきているのだ。
為頼は患者が直るかどうかが分かる能力があるのだが、この能力は実は白神にもあった。二人の能力は超能力などではなく、医師としての観察力・洞察力が抜きん出て優れていることにあった。
二人の天才医師は「見ただけで患者のその後の生死が判断できる」という能力を有しているが目指す方向は全く異なる。
本書は神戸市の一家四人残虐殺害事件という題名の楽曲を、サトミ、為頼、菜見子たちが奏者となり動き回っているよーな感じである。そしてこの楽曲の主旋律を奏でるピアニストが白神メディカルセンターに勤めるイバラという若者である。
イバラには先天的な病がある。イバラは軽度の知能障害且つ先天性無痛症である。無痛症とは耳慣れない病気であるが読んで字の如く「痛みを感じないという病気」である。
痛みを感じないと人間はどうなるのか?
とても大変なことになる。
例えば、転んで頭を打ったとする。通常、その痛みを感じ、人間は自分の身に危機が起こっていることを知る。治療を行い、二度と痛みを感じないように学習し、生活をする。しかし、痛みを知ることができなければ自分の身の危機を知ることもできず、放っておけば死んでしまう可能性もある。イバラは自分の身の痛みを知ることができない。痛みとは何か?イバラは知ろうとする・・・
物語が進んでいくにつれ、事件の全貌が浮かび上がり、何故この一家が死ななければならなかったという命題に一応の解釈が披露されている。勿論、これは殺人者の側の論理であり、誰もが納得できるものではない。更に事件の真の指揮者の存在が明らかになったとき、現代医療の恐ろしさを垣間見た気がした。
本書では様々な登場人物が刑法39条を引き合いに出し、その是非を読者に投げかけている。
(心神喪失及び心神耗弱)
第39条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
この論争は今日でも大きな命題となっている。何が正解であるとかはっきりと言うことはできないが、この条文だけでも「39 刑法第三十九条」という映画が一本できるくらいの深い条文である。本書を読んだ人はこの条文についていろいろ思いをめぐらせることになるかと思うが、そういう機会を得ることができたというだけで本書はある種意義深い一冊であろう。
なお、本書の登場人物で最も嫌悪感を抱く人物はなんといっても高島菜見子の元夫の佐田であろう。ホントにダメ人間であり「新堂冬樹の本にでも出ていなさい」というほどの強烈なダメさ加減・・・orz(ちなみに新堂冬樹さんの本がダメといっているのではないですよ)。いやー、こいつはホントに存在価値ゼロです。驚きです。
本書のタイトルは「無痛」というタイトルだが、本書を読み終えて「無痛」というタイトルでなくてもよかったのではないかと感じた。
なお、どうでもよいが、久坂部 羊さんの「羊」という文字は「やまいだれ」の部首を付けると「痒(かゆ)い」という文字になります。本書を読んで背筋が寒くなりどこか「痒い」気分になってしまいました。
■他の方々のご意見
・ECCO : 無痛/久坂部 羊
・粗製♪濫読 : 『無痛』 メディカル・ノワール
・「無痛」久坂部羊 by 楽天広場ブログ(Blog)
・ほんだらけ | 『無痛』久坂部羊
・さとしのぶろぐ | 無痛(久坂部 羊)を読んで
迫真の描写部分にのけぞりましたが、こういうエグさが久坂部氏の持ち味でもありますね。
「時間です」という決めゼリフが、忘れられませんw。
>こういうエグさが久坂部氏の
>持ち味でもありますね
久坂部羊さんの作品を読んだのは本書がはじめてだったのですが、新堂冬樹の一歩手前くらいのエグさで確かに、ちょいと仰け反りました。
電車の中で読む本としてはオススメできないかも(^^;
部屋に籠って一人で読むと更に怖さが倍増です。ジャンルが医学分野なので、やはり海堂尊さんと比較したりしてしまいますが、 bibliophageさんのBlogで書かれているよーに「陰と陽」といった感じですね。
久坂部羊さんの別の作品にもチャレンジしてみたいと思います。
ではでは。
本当にあの旦那、新堂さんのに出てくる人でしたね。思わずそこに反応してしまいました。
TBさせていただきますね。
では、では。
>あの旦那、新堂さんのに出てくる人
そーなんですよねー(^^;
一瞬作者の名前を確認しちゃいましたよ(^^;
uririn さんもblogでご指摘されていますが、それにしても菜見子は何故佐田と・・・orz
不思議です。
ではでは。
本当にあの元夫は…
やっぱりあの夫のダメさ加減に目が行きますよね。実は本編よりそればっかり読後の今も残っています(笑)
>やっぱりあの夫のダメさ加減に目が行きますよね
佐田は結構強烈なキャラでしたね(^^;
#あのプリンは結局何なのか(謎)
新堂冬樹の「カリスマ」に登場するどうしようもない教祖、神郷宝仙と同レベルのダメ男でしたね。
佐田の異常さ、イバラの異常さは比較できるものではありませんが、本書を語るうえでこの登場人物の異常性というのはひとつのポイントですよね。
なかなか興味深い一冊でした。
ではでは。