2004年11月17日

貫井徳郎:「修羅の終わり」 このエントリーをはてなブックマークに追加

修羅の終わり (講談社文庫)
貫井 徳郎
講談社
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りょーち的おすすめ度:

修羅の終わりを読了された方で慟哭を読まれた方はどのような感想をお持ちになったかいろいろ伺ってみたい。いろいろ検索してみたがどうも賛否両論っぽいですね。以降本書および慟哭のトリック(というのが正しいのかどうなのかわからないが)の部分に触れるので、未読の方はご注意願いたい。

なお、通常、叙述トリックを用いた小説の場合は、それが叙述トリックを用いた小説であるとわかった瞬間に小説の面白みが半減(いや、それ以上か?)するわけだが、本書においては全くその心配はなく、何度読んでも小説として素晴らしいと感じることを付記しておきます。

本書の感想をまとめておくために貫井氏の慟哭を思い出さずにはいられない。ミステリーの世界には叙述トリックというものがある。
叙述トリックについては香澄遼一氏が「HMC機関誌『MISTERIOSO』第七号」の中で、評論「叙述トリック講義」で詳しく述べている。日本のインターネットサイトの中でこれほど、キチンと叙述トリックについてまとめているページはないと思われるのでご興味ある方は一読願いたい。

叙述トリックを用いる際に作者として注意していると思われる点は「探偵しか知りえない情報」を作らないというのが鉄則と思われる。「修羅の終わり」に関しては、実は最後の1行を読むまでりょーちはわからなかった。
ということで、貫井氏の思惑は成功したように思う。ただ、本書はトリックを書きたいがために書かれたのではない(と思う)。
「修羅の終わり」を読んでいただくとわかるが、各章は3つの構成になっており、「I」「II」「III」と番号が振ってあるので、どのストーリーを読んでいるのかはわかる。「修羅の終わり」の後書きをヴァンパイヤー戦争やオイディプス症候群で有名な笠井潔氏が書かれているがりょーちはこの後書きを読んでやっと全貌を理解したといっても過言ではない。(また読解力のなさを露呈してしまった・・・)

反社会的組織を駆逐するために公安としてスパイ要請活動を行う久我の話しが「I」。
警察内で無茶な行動を起こし、失職の危機に陥る刑事の鷲尾の話しが「II」。
新宿の繁華街を歩いている途中にチンピラに因縁をつけられて殴られた「僕」は地面に頭を打ち付けられた衝撃で記憶をなくす。「僕」の自分探しが始まる。これが「III」の部分の骨子となる。
本書でスクランブルの効果として際立つのが「III」のパートで登場する小織の存在であろう。小織は記憶喪失の「僕」を見つけ、前世の恋人であると奇妙な言葉を投げかける。前世などという話しをミステリに持ち込んでしまうとミステリーじゃなくファンタジーやホラーになってしまう気がするのだが、そこはきちんとした説明がなされている。この小織の存在も「僕」の記憶解明に一役買っているところが不思議だ(というかしっかりしている)。

面白かったが頭の弱いりょーちにはちょっと複雑だった。どこでこの3つの物語がリンクするのか(若しくはしないのか?)がわかるようなわからないような感覚で700ページ以上もの分量を読んでいった。今この瞬間、再読すれば、もうちょっと違った感想が書けると思うが、それぞれのストーリーとしては納得感があった。
「I」の公安刑事久我の話しでは、公安として「夜叉の爪」を駆逐するために奔走する久我は正義のためとはいえ協力者(スパイ)に感情移入しすぎてしまう。自分は正義のために動いているはずなのだが、大きな正義に小さな犠牲はつきものと言い協力者をゴミのように扱う先輩刑事の藤倉のようには割り切れないしそんな生き方もしたくない。純な人間は「桜」(公安刑事の俗称)には向かない。そんな自分の心の葛藤と戦いながらも職務をこなしていく。しかし、協力者の斎藤が殺害され自分の中の何かが噴出する。
これと対称的な行動をつづけるのが鷲尾である。鷲尾は自分の中に飼う「蟲」を解き放つために、欲望の赴くままに警察という特権を十二分に活かし好き勝手な行動をとり続ける。警察組織がそれを許すわけもなく、程なく鷲尾は解職させられる。後ろ盾をなくした鷲尾には、過去に自分と同期の和久井のミスにより、手の指を失う過去を持っていた。鷲尾の中の「蟲」鷲尾をは次第により反社会的な行動へと向わせる。
「僕」はひたすら自分探しの旅を続ける。記憶喪失により茫然自失の状態であった「僕」は新宿で声をかけられた智恵子に拾われるように世話になった。そんな「僕」の前にある日小織という見ず知らずの女性から「あなたは斉藤拓也の生まれ変わりだ」と告げられる。小織と智恵子の間を行ったり来たりする僕はまたもや自分を知っているという山瀬という男に出会う。
本書はこの3つのストーリーが同時進行して(いるように)書かれている。
同じ作家(貫井徳郎氏)の作品だからかもしれないが、やはり「慟哭」を連想してしまう。慟哭の「犯人」(?)は上記の叙述トリックにより導き出されるようになっているが、本書は「犯人探し」がメインではない。「自分探し」のストーリーなのだと思った。「僕」の置かれていた環境がわかったとき「僕」の取った行動。これが800ページ近くにわたって綴られていたのかなーとも感じた。
警察内部の動きについても触れられているが、本書を読んでいると警察と公安ってやっぱ仲悪いのかなーと感じます。だから、警察小説には公安の登場頻度も必然的に高くなるのかと思う。公安警察は私達一般市民にとっては日ごろどんな活動をしているのかが見えにくいため、その暗部とも言える公安活動を想像するのは作者も読者も興味深いのではないでしょうか?

そして貫井徳郎さんの筆力も注目したい。これだけの分量を書ききって、読者に厭きさせず、一気に読ませるプロットとストーリーテリングは見事である。(だから貫井さんの小説は大好きです)
非常に心に残る名作であった。「心に残る」と書いて矛盾しているかもしれないが、忘れた頃に是非もう一度手に取ってみたい作品である。

ちなみに、keiitiさんのBlogでも本書を取り上げていらっしゃいますが、りょーちの推理も見事に外れましたことをご報告しておきます(^^;

posted by りょーち | Comment(0) | TrackBack(5) | 読書感想文
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